陸軍第6航空軍司令官で、特攻の指揮を執り終戦を迎えた菅原道大 中将も
戦前、「決してお前たちだけを死なせはしない。必ず最後の一機に乗る」 と
「断言」。一方で、図らずも生き残ってしまった隊員たちを 「卑怯者」 と
打ち据え、数多くの若者を出撃させた。
終戦の昭和20年8月15日を迎えた隊員は、高級参謀に 「最後の特攻」 を上申。
菅原中将の隊員との “公約” を聞いていた高級参謀も、中将に
「司令官もご決心なさるべきかと思います。お供致します」 と進言すると
こう言い放った。
「自分は戦後の後始末が大事だと思う。死ぬばかりが責任を果たすことには成らない」
この時点では 「後始末後の自決」 を考えていた節もあるが、平和な時代が
菅原中将を変節させる。もっとも、最低の恥は心得ていた。晩年は自己を
正当化せず、ゴザ敷きのあばら家に住んだ。斯くして、戦後を38年以上も
生き、95歳で “大往生” した。
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