>>8
それに関しては中国史を見れば割と説明は可能
例えば武漢からそれほど離れていない赤壁が舞台の赤壁の戦いでも華北から進軍してきた魏軍が疫病に悩まされたのは有名だが
中国史全般で見ても黄河流域を収めた華北の国家が今度は長江流域をと意気揚々と軍を進めてきて風土病の疫病にやられて逃げ帰るというのはかなりよく見るパターンでもあるのと
司馬遷の史記でも長江流域の風土病や、唾飛ぶぐらい言い合いすると数日後にこちらが死に至る毒を持った部族みたいなのにも触れてる
今になって見ると武漢含む長江流域ではコロナウイルスの自然上での遺伝子変異による強毒化が数十年、数百年単位で置きていて
昔みたいに人の流れが活発化では無かった時代はそれは風土病の疫病として歴史的には受け継がれてきていたのだと思うよ
思い返せばSARSの時も始まりは福建省ではあったけど、あの頃なら中国国内の人の移動は活発化していたしお隣の湖西省とかが長江流域なの考えると今回と同様に歴史的には風土病の疫病扱いだったものがSARSという認識になっただけだったのだろう