三浦は展示品に対し「説明不足」「鑑賞者に説明なしに黙って見ることを要請」と繰り返すが、芸術とは「鑑賞者に説明なしに黙って見ることを要請」するものである。そもそも簡単に説明できるものなら芸術という形式をとる必要はない。
なお、ここで論じているのは展示品が芸術か否かではない。三浦の芸術観が幼稚で浅はかであるだけでなく、過去の悪霊の復活につながることを指摘しているのだ。
三浦は展示品の作者に対し《そもそも、何をもってして「目覚めた自分」と「目覚めていない大衆」を分けているのか》と批判するが、それはこちらが聞きたい。三浦の文章からにじみ出るのは「自分は目覚めた側の人間であり、社会を俯瞰的に眺めている」という傲岸不遜な態度である。
そんなルリ(39歳)が考える「一番の権力者」に受け入れられ「持続可能性」のある「学習意欲を満たし、十分に教育的」な芸術展とは何か。ナチス公認の「大ドイツ芸術展」というのもあったが、われわれの社会は20世紀の愚行を繰り返そうとする危険人物に対し寛容に過ぎるのではないか。
(了)