そもそも『1987』の製作がスタートしたのは、文政権誕生後ではない。監督のチャン・ジュナン氏がインタビューで語るところによれば、「一番最初にオファーを受けた時はパク・クネ政権下だったのですが、脚本作業は秘密裏に進めました」という(ウェブサイト「映画ログプラス」2018年9月8日)。
製作を秘密裏に進めざるを得なかったのは、当時の朴槿恵政権による弾圧を回避するためだ。「朝日GLOBEプラス」(2019年8月9日)のインタビューによると、〈チャン監督が今作を撮ろうと考えたのは、その朴槿恵の任期中の2015年冬〉であり、〈当時は朴槿恵の一連の疑惑もまだ明るみになっておらず、退陣を求めて大勢の人々が立ち上がった2016年10月からの「ろうそく集会」で韓国社会の雰囲気が大きく変わる以前〉。朴政権は「政府の政策に協力的ではない文化人」をブラックリストに掲載するなど、スキャンダルを隠すための弾圧姿勢を強めていた。チャン監督はこう語っている。
「朴槿恵政権は、まるで独裁体制時代に戻ったかのように文化業界を弾圧、政権に都合のいいことしか言わせようとしなくなり、歯がゆく感じていた。今作の製作を始めた頃は、ろうそく集会が起きるなどまったく想像もできない状況だったが、政権からどんな不利益を被ることになっても、勇気を出して映画にしたかった」