(一部抜粋)
https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/column/hate/6013/2
朝鮮学校に関しては日本政府が戦後一貫して差別をしつづけてきた
――「官製ヘイト」という言葉を最初に発したのは前川さんだそうですね。
前川 もしかすると誰かが先に使っているかもしれませんが、私が誰かの言葉を見たり聞いたりして引用したわけではなく、勝手にそう言いはじめたのは間違いありません。実際に官製ヘイトを心から嘆かわしいと感じていて、私はそれを朝鮮学校の問題に関して使ったんですね。
――朝鮮学校の問題ですか。
前川 ええ。要するに、朝鮮学校に関しては日本政府が戦後一貫して差別をしつづけてきた。いまになってはじまった話ではないんです。それを安倍政権と安倍政権にまつわる人びとが極度に悪化させている。
――そのあたりを、文科行政に直接携わった立場から、もう少し詳しく聞かせてください。まずは戦後一貫しているという差別構造ですが。
前川 まずは先の戦争が終わり、各地で朝鮮学校ができました。しかし日本政府は、当時のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の意向などもあり、在日朝鮮人が民族教育をすると共産主義革命につながるんじゃないかと危険視した。当時はまだサンフランシスコ講和条約(1952年4月発効)以前の段階で、在日朝鮮人も日本国籍を持っていましたから、「お前らは日本人なんだから日本の学校に行け」ということで、朝鮮学校の閉鎖命令を出したんです。これに対し、抵抗する運動が各地で起きました。代表的なのは阪神教育闘争といわれるものです。
――ええ、1948年に文部省(当時)が民族学校閉鎖を命じたことに抵抗運動が起きましたが、大阪や兵庫での運動は特に大きな広がりを見せ、大阪府庁や兵庫県庁には数万の群衆が押し寄せたと記録されています。最終的には米軍と日本の警官隊によって鎮圧されてしまいますが、GHQによる戦後唯一の非常事態宣言が発せられたことでも知られています。
前川 それで次に何が起きたかというと、日本の小中学校の中に民族学級などができました。これがまたひどい話なんですが、サンフランシスコ講和条約が締結されたら在日朝鮮人たちは日本国籍を失ってしまい、今度は「日本人じゃないんだから出て行け」「民族学級なんてものは要らない」ということでどんどん潰されていって。いまでも関西では一部残っていますが、あくまでも「課外授業」という扱いなんです。結局は公立学校から追い出されてしまったわけですから、在日の人たちがまた朝鮮学校を作るしかなかったわけです。しかし、日本政府はそれを学校として認めてはいかん、各種学校としても認めてはいかんと……。
――各種学校としても断じて認めないと。
前川 そうです。1953(昭和28)年に京都府が朝鮮学校を各種学校として許可した例があるようですが、文部省はそういう動きを抑えようとしました。いまでも文部科学省は、朝鮮学校を各種学校としても認めないという公式スタンスを変えていません。日韓基本条約を結んだ際には通知も出しています。
全文は以下より
https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/column/hate/6013/1
【青木理 特別連載】官製ヘイトを撃つ 第一回
官製ヘイトはいまにはじまった話ではない 元文部科学事務次官・前川喜平氏に訊く①
前川喜平 × 青木理 2019.6.12