時代とともに変化するのは言葉の常だが、新たな言葉が人口に膾炙される過程においては相応の理由があると見るべきだろう。コラムニストのオバタカズユキ氏が指摘する。
「上級国民」というネットスラングの拡散が止まらない。もとは4月19日に、東京の東池袋で自家用車が暴走、歩行者10人をはね、母子2人を死亡させた事故の運転者を指した言葉だが、いまやその範囲を大きく超えて、使い続けられている。
~中略~
これから東池袋の事故の捜査が進み、運転者が任意出頭し、書類送検となり、犯罪者として処罰される可能性は大いにあるだろう。
ただ、そうなったとしても、「上級国民だから逮捕されなかったんだ」「二人も殺しておきながら罪が軽いのは上級国民だからだ」などの「疑惑」がつきまとうと思う。
そう思わせるくらい、この言葉を使う人々の世の中に対する不信感や絶望は深い。
そんな身も蓋もない階級社会は冗談じゃない、ふざけるなとの怒りはどんどん溜まっている。が、一方で、どうせ変わらないよという諦めや絶望も広がっている。
庶民の怒りを変革のエネルギーとして現状のけしからん政治に大ナタを振るってくれる人物が登場する気配というか、期待も感じられない。それよりも、多くの人々は、疲弊しながら日々の生活をどうにか成り立たせるのに精いっぱいといったところではないだろうか。
「上級国民」なる言葉の大拡散は、そのような状況にある一定層の日本人の心中や現状をあぶり出したように思える。
ネット上で「上級国民」を腐して、少しばかりガス抜きをして、また「下流」の日常生活に戻っていく日本人の後姿が見えてくる気がする。
https://www.news-postseven.com/archives/20190505_1366194.html