1月末の通常国会開会を前に、霞が関は慌ただしく動き出している。
しかし、そこに“昨年の主役”はいない。経産省出身で第2次安倍政権の総理秘書官を長く務めた柳瀬唯夫氏だ。
加計学園問題では愛媛県職員と首相官邸で面会。「本件は首相案件」と発言した記録が出て国会へ参考人招致されるも、「記憶の限りでは会ってない」と言い逃れして話題となった。
昨年、経産省ナンバー2の経産審議官を退任して霞が関を去った柳瀬氏が12月1日、
ある会社の非常勤取締役に“再就職”したという。その会社は、東芝クライアントソリューションという東芝の関連会社である。
国内外のパソコン開発を手がける同社は、もとは東芝の100%子会社だったが、昨年10月にシャープに買収され、東芝の出資比率は20%に下がった。
そして柳瀬氏が着任して2日後の12月3日、社名を年始から「ダイナブック」に変更することが発表された。
この一連の流れが、経産省内で物議を呼んでいる。
「加計学園問題で有名になった柳瀬氏ですが、経産省内では“原発推進派のエース”と知られていた。
だからこそ、原発を手がける東芝の関連会社に再就職することになったのでしょうが、あまりにも分かりやすい構図です。
彼は2004年にエネ庁(資源エネルギー庁、経産省の外局)の原子力政策課長になり、政府、財界を巻き込んだ『原子力ルネッサンス』構想を打ち出しました。
原発輸出による“原子力外交”を進めたことで、政権から重用されるようになった。その後、震災が起きて原子力政策が見直しされてからも、
安倍政権で原発輸出モデルが変わらなかったのは、柳瀬氏あってこそです」(経産省関係者)
柳瀬氏と東芝とは切っても切れない関係にある。
「柳瀬氏は東芝のアメリカの原発メーカー、ウェスチングハウス買収を後押しし、同社を原発中心に転換させた張本人です。
ウェスチングハウスの破綻が東芝の経営危機を招いたことを考えれば、その責任は柳瀬氏にもあるはず。
それが東芝の関連会社に再就職するなんて……省内では驚きが広がっています」(同前)
柳瀬氏が入った直後に社名から「東芝」の文字が消えたことも、奇妙なタイミングだ。一方で東芝製パソコンの代名詞である「ダイナブック」を社名に掲げたことは“露骨”にも映る。
元文部官僚の寺脇研・京都造形芸術大学教授は、別の問題点を指摘する。
「柳瀬氏ほどの大物官僚ならば、会社から誘いが来たのでしょうから、天下り規制にはかからない。
ただし、東芝は経産省が事実上救済した企業で、売却先のシャープにしても、経産省が救済に尽力した経緯がある。
企業側からすれば、恩義のある官僚を受け入れたことは単なる再就職でなく、御礼も含めた“天下り”だと見るべきでしょう」
ダイナブックは「(経緯については)お答えできない」(広報担当)とのことだった。
加計問題での木で鼻を括った国会答弁で安倍首相を“守った”とされ、いまだ信任厚いという柳瀬氏。まさか、この再就職も“首相案件”というわけではあるまいが。
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