前双葉町長が語る 地震当日夜9時に東電社員とその家族は…
(一部引用)
「第一声は、“町民の皆さん、ただ今、福島第1原発で地震による事故が発生しました”でした。官邸から海岸から半径10キロ以内に避難指示が出されたので、町民に“急いで避難してください。避難先は川俣町です”と呼びかけた。ですが、絶望感と悔しさで涙が出てきて声が詰まってしまった。双葉町のほぼ全域が10キロ圏でしたから……。
実は、後で分かったことですが、11日の夜9時すぎには、東電の社員も家族もだれ一人双葉町に残っていなかった。いち早く社宅を出て、役場にいた社員も黙って消え去りました。そういう会社ですよ、東電は。現在、どこかで何食わぬ顔をして生きているんでしょうけど、ひどい話ですッ」
3月12日の昼。役場の南側の窓に設置していた線量計の針が振り切れたという。1号機のベント放出があった時刻だ。
「役場に頭から足まで隠した真っ白のフル装備の警察官が近寄ってきて、私に耳打ちしました。“町長、限界ですよ”と。官邸や東電からは断片的な情報しか入らず、唯一警察官からもたらされたひと言が命を守る情報でした。私は6人の職員と一緒に、12日午後2時をもって最終退避命令を出したんです。そして、午後3時36分。私は双葉町福祉施設がある現場で、忌まわしい光景を目にしたんです。
全文は以下より
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/newsx/244158/1
公開日:2018/12/21 06:00 ニッカンゲンダイ