御大・富野由悠季が“脱ガンダム”にこだわる理由「作り手は安心したら最後」
途中から
【富野由悠季】この前、WOWOWで放送されたメトロポリタン・オペラを観て気づいたんです。「あ、巨大ロボットアニメという枠って、オペラなんだよね」と。どうしてオペラという言い方をしてるかというと、オペラは大舞台で、音楽も役者も使っています。そして、巨大ロボットものという大枠のなかで、ロボットが出てくると“戦闘シーン”があります。最近、映画『逆襲のシャア』(松竹系・1988年公開)を振り返る機会があったんですが、あの作品は戦闘シーンが多すぎるんです。だけど、戦闘シーンはなくちゃいけない。じゃあ、ロボットものの戦闘シーンはなんなんだろうと考えた時、いわゆるオペラでいう“歌うセリフ”のブロックなのだ、ということに気づきました。
――なるほど、分かりやすいです。
【富野由悠季】だから、オペラ歌手と同じように、堂々と戦闘シーンをやっていいんだ、と。問題はその中のお話です。つまり、オペラってでかい話をやっているか? と考えると、結局、オペラは男と女が寝るか寝ないかだけで、ほかのことは何もやっていないでしょ(笑)? そこでニュータイプだとか、社会の革新だとかを言ってたら、そりゃ誰も観に来ないと気づいたんですよ。
――今のお話を伺って、新作のシナリオはとてもシンプルなものなのかな? とイメージしました。
【富野由悠季】ところが、シンプルにはならない。だって、歌を歌うシーンが多いんだよ(笑)。その寝たか寝ないかの話はどこでやる? まさにそのロボットものの枠の中でやるしかないんですが、そんなロボットものがあるんですか? あるわけない。だって今まで誰もやっていないんだから。今まさにその寝たか寝ないかっていう、つまり体感的なフィーリングを物語の中に入れている最中で、これはこれでとんでもなく難しい。
■前へと進むのは死ぬまで元気でいたいから「なんとかスピルバーグに勝ちたい」
後略
全文
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