日大「内田・井上コンビ」にソックリな人物は日本中の会社にいる | 情報戦の裏側 | ダイヤモンド・オンライン
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(極一部)
この構図をご理解いただくためには、日大フェニックスだけに限らず、すべての大学運動部の体育会カルチャーのルーツである旧日本軍を例にすると分かりやすい。
「上」から命じられたことは、どんな理不尽なことでも絶対服従というカルチャーは、世界中のあらゆる軍隊組織に見られるが、旧日本軍が際立って異常だったのは、「人は常軌を逸した苦痛を与えれば与えるほど強くなる」というサディスティックな教育観のもとで、「個人」を人間として正常な判断ができないところまで追いつめた点にある。
理不尽な新兵いじめや、玉砕命令などなど、例を挙げれば枚挙にいとまがないが、日大フェニックスとソックリなのが「父島事件」だ。
第二次世界大戦末期、戦況が厳しくなってきた1944年8月から45年3月にかけて、小笠原諸島の父島の陸海軍部隊が、米軍捕虜数人を軍刀の試し切りなどで殺害、さらにその遺体の一部を食べたといわれる事件だ。
もちろん、70年以上前の戦時中に起きた事件であり、しかも戦勝国による裁きだったから、公平性を欠いているという意見もある。「人肉食は事実ではない」ということを主張されている方たちもおられるが、「捕虜殺害」に関しては46年10月に行われた米軍グアム裁判で14人が起訴され、首謀者とされる陸軍師団長の立花芳夫中将や的場末男少佐ら5人が絞首刑にされた。
日大フェニックスが「日大の誇り」なんて言われていたように、当時の日本人は帝国陸軍を「世界一、綱紀粛正が徹底された軍隊」と誇っていた。では、そんな「名門軍隊」でなぜ、こんな陰惨な事件が起きてしまったのかというと、これまた日大フェニックスと同じで「戦意高揚」のためだ。
この裁判の弁護を担当した伊藤憲郎弁護士の日誌には、公判の生々しいやり取りが収められており、そこには、この組織の絶対権力者・立花中将がこんなことを言っていたというある大尉の証言が記されている。
「人間の肉を食らうくらいの闘魂がなくてはいけない。この次の空襲で酒の肴が空から落ちて来ぬかなあ」(日本経済新聞2009年8月14日)
狂っている――。内心みんながそう思ったが、誰もそれを口にしなかった。「捕虜殺害は師団長、的場少佐の命令で拒絶するわけにいかなかった」(同紙)という証言からも分かるように、「王様の言うことは絶対」なのだ。この構造は、内田前監督のことを選手たちが陰で「ウッチー」などと呼んで小バカにしながらも、いざ面と向かうと誰も文句を言えず、どんな理不尽な命令もふたつ返事で従っていたのとまったく同じである。