私の手元に、58年11月に中国国家地図出版社から出された『世界地図集』がある。
現在の中国が頑として「釣魚島」と呼び「尖閣」という表現を禁止しているのに対し、
58年の権威ある地図はご丁寧にも日本式に「魚釣島と尖閣諸島」と表記。
さらに島々の南西沖に国境線を引き、「琉球群島に属する」と明白に記している。
しかも、この地図の前書きでは「社会主義の兄、ソ連の先進的な製図と知識を吸収して作成した」と明記。
中国だけでなく、社会主義の親分ソ連も同島を日本領と認めていたわけだ。
その意味で、64年1月28日付の共産党機関紙・人民日報の記事は興味深い。
「中国人民の偉大な領袖」「世界革命の指導者」毛沢東が日本の日中友好協会副会長、日本アジア・アフリカ連携委員会の常務理事、
それに日本共産党機関紙・アカハタ(現・赤旗)の北京特派員らに接見した席上でのことだ。
毛は「最近、日本全国で大規模な大衆運動が起こり、アメリカ帝国主義の核搭載戦闘機と潜水艦の配備に反対している」と、
日本の反米運動を評価。その上で、「駐留米軍を追い出し、米軍基地を撤廃して、日本の領土沖縄を返還するよう求めている。
こうした日本人民の正義の闘争を中国人民は断固として支持する」と述べたのだ。
毛ははっきりと、「日本の領土沖縄」と話している。
その発言は58年の『世界地図集』での「魚釣島と尖閣諸島は琉球群島に属する」との描き方と一致する。
中国の公式見解は一貫して、「魚釣島と尖閣諸島は琉球群島の一部」だった。
当時は毛以下、誰も琉球群島こと沖縄と尖閣諸島の帰属を区別しなかった。