【訃報】金子兜太、お亡くなりに【現代俳句の第一人者】

1番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2018/02/21(水) 09:04:30.42 ID:7Mkp80RM

現代俳句の第一人者で、本紙「平和の俳句」選者の金子兜太(とうた)さんが二十日午後十一時四十七分、誤嚥(ごえん)性肺炎による急性呼吸促迫症候群のため死去した。九十八歳。埼玉県皆野(みなの)町出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。別途、お別れの会を開く。

中国・上海と埼玉・秩父で幼少年期を過ごした金子さんは、旧制水戸高校(茨城大の前身)時代に本格的に俳句を始めた。東京大経済学部入学後に加藤楸邨(しゅうそん)が主宰する「寒雷」に参加。以後、楸邨に師事した。一九四三年に日本銀行に入行。直後に短期現役士官として海軍経理学校に入校し、翌年、海軍主計中尉となった。

四四年三月、西太平洋の要所・トラック島(今のチューク諸島)に派遣され、第四海軍施設部で兵たんや軍属らの規律維持を担う傍ら、戦時下の島で陸海軍合同の句会を主宰した。敗戦後、捕虜生活を経て四六年十一月に復員。島を去る時のことを詠んだ<水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る>は代表句となった。

四七年、日銀に復職。社会性のあるテーマや素材を扱う社会性俳句運動に共鳴し、「主客」という旧来の俳句の二項対立の観念を超えた新しい詩の創造を目指した。俳句論でも活躍し、「漂泊の俳人」小林一茶、種田山頭火、尾崎放哉らの魅力を再評価した。

六〇年代からは、社会性・抽象性に富む無季の句を提唱する前衛俳句運動の旗手となり、有季定型を主張する中村草田男と論争を繰り広げた。六二年に同人誌「海程」を創刊。八五年から結社誌となった同誌を主宰した。上武大教授(経済学)、現代俳句協会会長(現名誉会長)などを歴任。文化功労者。日本芸術院会員。菊池寛賞。

戦後七十年の二〇一五年から、作家のいとうせいこうさんとともに本紙「平和の俳句」の選者となり、一七年八月に高齢の影響で自ら退任するまで務めた。戦場の現実を知る者として生涯、平和の大切さを訴え続けた。

句集に「少年」(現代俳句協会賞)、「両神」(詩歌文学館賞)、「東国抄」(蛇笏賞)など、俳句論や自伝に「今日の俳句」、「わが戦後俳句史」、「語る 兜太」、「他界」など著書多数。著作集「金子兜太集」(全四巻)がある。代表句は<彎曲(わんきょく)し火傷し爆心地のマラソン><朝はじまる海へ突込む鴎(かもめ)の死><暗黒や関東平野に火事一つ><梅咲いて庭中に青鮫(あおざめ)が来ている><おおかみに螢(ほたる)が一つ付いていた>など。

続きはソースで

東京新聞:金子兜太さん死去 98歳 「平和の俳句」選者 戦後俳壇けん引:社会(TOKYO Web)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2018022190070323.html

ちなみにこちらを揮毫した人でもある
https://i.imgur.com/9qHB29e.jpg

2番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2018/02/21(水) 09:06:10.46 ID:7Mkp80RM

>>1 別記事

東京新聞:金子兜太さん死去 戦場の過酷さ、弾圧語り「平和の俳句 一番大事」:社会(TOKYO Web)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201802/CK2018022102000151.html

3番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2018/02/21(水) 12:56:38.51 ID:V3Hu4qQg

お悔やみ申し上げます
今の時代だからこそ必要な人が次々お亡くなりに。。


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