「日中友好」は死語となった 国交正常化45年、中国の脅威から日本は平和を守るためにどうすべきか思考の時 #1

1番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2017/10/12(木) 17:42:13.47 ID:jhe6bcnA

今月29日で日中国交正常化から45年がたつ。私がこの目で見た、45年の日中関係の激変を振り返ってみよう。

国交正常化されたその日、小学生だった私は家のラジオでこのニュースを伝える中央ラジオ局アナウンサーの興奮気味の声を聞いた。
中身はよく理解できなかったが、「日中友好」という言葉だけが印象に残った。

1980年代の「改革開放期」になると、「日中友好」は多くの中国人に身近なものとなった。
中国人が見た最初のカラーテレビは「松下」、中国人女性が愛してやまない超男前の俳優が高倉健、
中国進出の日系企業に就職するのは多くの若者の夢だった。

後になって分かったことだが、日本からのODA(政府開発援助)で北京の空港がつくられ、中国最初の高速道路もつくられた。
今になって思えば、80年代はまさに「日中友好」の黄金時代だった。

私自身も80年代の終わりに日本へ留学に来た。そして、日本の地で運命の天安門事件(1989年)を迎えた。
しかし、93年に一度帰国してみると、老若男女を問わず、中国人の日本に対する見方と態度が一変していた。
人々は口をそろえて「日本軍国主義」を批判し、日本の国と日本人をあたかも敵であるかのように罵(ののし)った。

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