では、北朝鮮工作員は、事前には日本をどのような国だと教え込まれていたのか。
昭和44(1969)年に、羽田空港から出国しようとしたところを逮捕された北朝鮮工作員は、
本国での教育で次のような日本観を植え付けられていたと、ある公安捜査員は私に明かした。
<日本では資本家がのさばり、労働者は牛馬のような重労働をさせられ、住宅難で生活は苦しい。
失業者が増え、若者の間ではエログロが氾濫し、麻薬中毒者が多い。国民は官憲の弾圧によって自由が全くない>
逮捕後の取り調べに対し、この工作員はこう語ったという。
「日本の現実を見たとき、はじめはウラに何かあると思っていました。すぐに信じることはできなかったし、信じたくありませんでした。
でも、街を歩き、買い物をして、食事をして、人とのふれあいを重ねるにつれて、いままで教えられていたことが現実と違うことが分かってきました。本当の自由とはどういうものか、人間性の尊重とはどんなことかという疑いが去来しました。
しかし、革命戦士としての自覚によって自らを奮い立たせ、任務の遂行に当たってきました。……でも、もう限界でした」