その後も、テストは不意を突いて行われた。
日本で住んでいた家の地図を書かされたり、テレビのチャンネルの名前を問われたこともあった。
金賢姫は日本に住んだことなどない。
日本人拉致被害者で、工作員たちの「日本人化教育」を担当させられた田口八重子さんから日本語や生活習慣について教わっただけだ。
テストを繰り返されるうちに、次第にぼろが出て、供述の矛盾点をつかれていくようになった。
だが、自分が日本人であるという主張が信憑性を失いはじめると、
金賢姫は「日本人ではない。中国人だ」とも主張し始め、真実を認めようとはしなかった。
内心の動揺とは裏腹に、頑迷な態度を貫いていたのだ。
そんな彼女に、あるとき捜査員がこう言った。
「気晴らしにソウルの町を見学しよう」
連れ出された車の窓から、夜のソウルの街を見た。
繁華街のネオンサイン。道路には車があふれている。露天商が高級時計を売っている……。
北朝鮮では、時計を売れば家族が何ヵ月も生活できた。
金賢姫が見たのは、まさに夢の世界だった。