治安維持法に反対を貫いた戦前の政治家で、県内にもゆかりがある山本宣治(せんじ)(愛称・山宣(やません)、1889~1929年)への関心が高まっている。上田市別所温泉にある記念碑を訪れる人が近年増加。「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ改正組織犯罪処罰法が国会で審議された今年は一層目立つという。碑を管理する「長野山宣会」は、11日に施行される同法が、犯行実行前の計画を処罰対象とする点で治安維持法と似ており、市民の関心を呼んだと指摘。山宣の思いを伝えながら、同法が乱用されないよう市民が注意する必要性や、法廃止を訴えていく考えだ。
「山宣への関心が高まっているように思います」。長野山宣会事務局長の藤原超(まさる)さん(80)は話す。碑を訪れる人は、特定秘密保護法が施行された2014年ごろから目立ち始め、共謀罪論議が高まった今春ごろからは一層増えたという。碑に備えたノートには、「共謀罪の成立を止めたい」といった書き込みもあった。
山宣は労働農民党代議士で、1925年に制定され、思想や言論の自由を弾圧した治安維持法に反対した。29年3月5日、同法の最高刑を死刑に引き上げる改定の反対演説をしようとした直前、右翼の男に刺殺された。改定の事後承諾案はその日に帝国議会で成立している。
その4日前の3月1日、山宣は上田で開かれた上小農民組合連合会の総会で講演していた。上田で農民運動を指導していた社会運動家のタカクラ・テル(本名・高倉輝、1891~1986年)の招きだった。刺殺は上小地方に衝撃を与えた。記念碑は翌30年、山宣の講演に感銘を受けた農民たちの手によって、タカクラの借家の庭に建てられた。山宣会名誉会長の平林茂衛さん(92)は「山宣らに学んだ農民たちが作った上田の民主主義の宝」と強調する。
33年、県内の教員らが大量に摘発された「二・四事件」でタカクラも逮捕され、碑には警察の破戒命令が出た。タカクラの借家の大家だった別所温泉の旅館経営者は、警察には壊したとうその報告をし、碑を自宅の「庭石」として隠し、守った。戦後、平林さんとタカクラは旅館経営者を訪ね碑の存在を知る。平林さんらは再建委員会を立ち上げ、1971年に現在の場所に碑を再建した。
平林さんが生まれたのは、治安維持法が施行された25年。戦前、召集された若者が「仕方なく戦争に行く」と漏らすと、周りが「そんなことを言ったら警察に連れて行かれる」と話していたのを記憶している。「治安維持法は恐ろしい法律だった」
平林さんは、共謀罪が犯行実行前の計画が処罰対象になる点で、「思想を取り締まった治安維持法と似ている」とする。委員会採決を省いて参院本会議で成立させるなど、与党側の強引な国会運営も戦前と重なって見えた。「守られてきた碑の意義は、共謀罪が施行された後には一層重くなる」と話している。
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