宝塚歌劇団出身で、映画やテレビドラマで活躍した女優の月丘夢路(つきおかゆめじ)(本名井上明子(いのうえあきこ))さんが三日午後一時五十分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。九十五歳。広島市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は料理研究家の長女井上絵美(いのうええみ)さん。後日、お別れの会を開く予定。
県立広島高等女学校中退。宝塚少女歌劇団に入り、一躍スターに。一九四二年、五所平之助監督の映画「新雪」に出演、端麗な美貌で国民的な人気を集めた。
大映、松竹と移籍し、「晩春」「長崎の鐘」「君の名は」などに出演した後、日活へ。看板スターとして川島雄三監督「あした来る人」、田中絹代監督「乳房よ永遠なれ」、中平康監督「美徳のよろめき」などに立て続けに主演、日活の黄金時代を支えた。被爆者の手記を基に原爆の悲惨さを訴えた「ひろしま」にも出演した。
日活がアクション路線に転じたのを機にフリーになり、大ヒットした映画「華麗なる一族」(山本薩夫監督)や「海峡」などのドラマ、バラエティー番組に数多く出演。舞台でも活躍した。映画「火の鳥」で知り合った井上梅次監督と五七年に結婚、おしどり夫婦として知られた。
◆映画「ひろしま」原発事故後、各地で上映
<評伝> 月丘夢路さんは、美人ぞろいの宝塚歌劇団の中でもその美しさのため、他の劇団員からねたまれたというエピソードが残るほどの伝説的女優だった。福島第一原発事故の後は各地で自主上映された映画「ひろしま」(一九五三年)に出演していたことで話題を集めた。
広島市に生まれた月丘さんは原爆投下のときには、映画女優として東京で活動していて被爆を逃れたが、高等女学校時代の同級生の多くを亡くした。
戦後、日教組系列の独立プロが、被爆した広島を舞台に映画を撮ると聞いて出演を熱望。当時、月丘さんは松竹専属で他社の作品に出ることはタブーだったが、最後は月丘さんの熱意に松竹側も折れ、月丘さんはノーギャラで出演を果たした。
映画は約九万人の広島市民がエキストラ出演して完成。ところが、大手の配給会社が米国への配慮などから二の足を踏み、公開は広島市内などにとどまり「幻の作品」となった。
しかし原発事故の後、反原発の市民グループなどが注目。月丘さんも自主上映の会場を訪ね「あの悲惨さを後の人に残したい。それが大きな戦争の抑止になればという気持ちでした」などと出演理由を話していた。
ソース
東京新聞:月丘夢路さん死去 95歳 元宝塚、日活スター:社会(TOKYO Web)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201705/CK2017050902000128.html