>>31
>どんな苦労をしてどんな人生を送ったかもわからぬ他人に死ねとは浅ましい
そうだな。
http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/78604eedfedda235837535ea41b1b6b4
以下は、靖国神社の理論的重鎮である小堀圭一郎 東京大学名誉教授の談で、靖国神社の売店で平積みで売られている宣伝用パンフレットからの抜粋です。
1999年8月
「 靖国神社の本殿はあくまで、当時の官軍、つまり政府側(天皇)のために命を落とした人たちをおまつりするお社である、という考えで出発したのでして、それは非常に意味のあることだと思うのです。 そこには「忠義」という徳が国家経営の大本として捉えられているという日本特有の事情があるのです。 「私」というものを「公」のために捧げて、ついには命までも捧げて「公」を守るという精神、これが「忠」の意味です。
この「忠」という精神こそが、・・日本を立派に近代国家たらしめた精神的エネルギー、その原動力に当たるものだろうと思います。ですから・・命までも捧げて「公」を守る、この精神を大切にするということは少しも見当違いではない。その意味で、靖国神社の御祭神は、国家的な立場から考えますと、やはり天皇のために忠義を尽くして斃(たお)れた人々の霊であるということでよいと思います。
>命までも捧げて「公」を守る
>命までも捧げて「公」を守る
>この精神を大切にするということは少しも見当違いではない。
>この精神を大切にするということは少しも見当違いではない。
>東京大学名誉教授
>東京大学名誉教授