来日のきっかけはディズニーラン ド。母は60代でバックパッカー~ 華華通信でもおなじみASUSシンシ ア部長編
第6回目のインタビューのお相手は、ASUS JAPANマーケティング部部長のシンシア氏です。会食の場として選んでいただいたのは、大井町にある「季節料理なるきや」です。
--:シンシアさんとは長い付き合いですが、「シンシア」はイングリッシュネームというか、ニックネームなんですよね。
シンシア:はい、シンシアはこの業界に入ってから使い始めたニックネームで、本名は滕 婉華(トウ・ワンファ)です。
--:あれ? でも、華華通信では、中学生くらいの時にシンシアというイングリッシュネームを選んだと書いていたような。
シンシア:そうなんですが、台湾では名乗ってはいなかったんです。で、ASUSに入社した時の上司が、私のメールアドレスの「Cyn thia」を見て、シンシアと呼ぶようになったんです。なので、シンシアと呼ばれると仕事モードになります。日本の大学に通っていたんですが、そのときは「ワンファ」と呼ばれていました。台湾にいた時のニックネームは「鐵蛋」(てつたまご)でした(笑)。
--:それはまたなぜ(笑)?
シンシア:台湾にそういう醤油で何日も煮た硬い玉子の食べ物があるんですが、昔、エアコンの室外機に頭を思いっきりぶつけたけど 、なんともなかったので、友達に頭が硬いと言うことで、「鐵蛋」だねって呼ばれるようになったんです(笑)。
--:そのあたりは、またおいおい聞いていくかと思いますが、今日紹介していただいたお店はなぜお気に入りなのでしょうか。
シンシア:今回はPC Watchさんが20周年と言うことで、この業界に関連するお店を選びました。このお店は、シンシアが始まったお店なんです。と言うのも、私がASUSに入ったのは2002年で、このお店に最初に来たのは2003年11月のボジョレー解禁の時でした。当時、自作PCのことは全然知識がなく、マザーボードとかCPUが単品で売られていること すら知りませんでした。その時、イベントなどで出会ってから、仲良くしていただいたのが当時MSIにいらした増山有寛さんでした。 メーカーとしては競合でしたが、自作について色々教えていただいたんです。その方に連れて来ていただいたのがこちらのお店でした 。
このお店は、日本料理屋なんですが、ボジョレー解禁の日だけ洋食屋になるんです。以降、13年間通い続けて、そのボジョレーのイベントも毎年参加しています。今このお店は、息子さんが継がれているんですが、先代のご夫婦にもすごくよくしていただいて、お二人が台湾旅行する時にコーディネートしてあげたり、お正月にはご自宅に招待していただいたり、家族のようなお付き合いをさせてもらってるんです。御社の今の社長もこちらによく来られてましたよ(笑)。
キラキラした日本に憧れて来日
--:20年前は何をしていましたか。
シンシア:日本の美術大学に入ったばかりの年です。高校までは台湾にいて、卒業後に日本語学校に通い、受験して日本の大学に入りました。高校の頃から広告デザインの勉強をしていて、日本でもその道に進みたくて、美大を選びました。
--:日本に行きたいと思ったきっかけは何だったんでしょう。
シンシア:すごく単純で、高校1年生の正月休みに祖母に連れられて東京ディズニーランドに行ったのがきっかけです(笑)。その時、汽車のアトラクションに乗っていたら、雪が降ってきたんですね。台湾では雪を見たことがなく、雪を体験したのはこれが初めてでした 。それで、日本は本当に夢の国だ