島の目撃者つづる
旧日本海軍が世界最強と呼ばれたロシアのバルチック艦隊を破った1905年5月27日の日本海海戦を、
福岡県宗像市の沖ノ島から見守った佐藤市五郎さん(1889~1974)の手記が故郷の大島(同市)で見つかった。
佐藤さんは当時16歳で、宗像大社沖津宮の神職の下働きとして沖ノ島で生活。
駐留中の通信員がガタガタ震える様子や「ヅドンヅドン」と響く砲声など、少年が目の当たりにした海戦を記録している。
沖ノ島は海戦があった海域付近に位置。最も近い艦艇との距離は10キロ程度だったとされる。
佐藤さんは木に登って激戦を目撃しており、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」に実名で登場する。
手記は昭和30年代に書かれたとみられ、書簡箋18枚に万年筆でしたためられている。
保管していた佐藤さんの三男で大島在住の千里さん(91)が4月、同島で歴史を研究している板矢英之さん(72)に預けた。
佐藤さんの目撃談は宗像大社の「沖津宮日誌」にも聞き取り形式で残っているが、板矢さんは「手記には、沖津宮日誌に書かれていない少年の心情がつづられている」と驚いたという。
最初の砲声を聞いた場面は「ピカッと光が見えました。『アラッ』と思ふ瞬間に『ヅドン』と砲声が聞こえました」。
海軍兵ら約20人が詰めていた望楼の記述では、ある通信員の様子を「大の男で、ガタガタ震えて居(お)ったのが印象に残って居(い)ます」と記した。
敵艦判別用に艦影を記した紙が風に飛ばされ、佐藤さんが山に入って見つける一幕も。
「誇ら顔で『あったあった』と高く振(ふり)上げて望楼長に渡した。望楼長は、金鵄(きんし)勲章だと賞(ほ)めた」。
数日後の祝勝会では「市五郎君は大変加勢した。コレハ西洋の酒だ、飲むのではないナメるのだ」とウイスキーを勧められたという。
佐藤さんは太平洋戦争後、沖ノ島の神職になった。
板矢さんも少年時代、海戦の話を聞いたことがあり、独特の砲撃音の語り口から「ズローンのおいしゃん」と親しまれたという。
板矢さんは手記を活字化した冊子を製作。活用法は未定だが「沖ノ島での出来事を語り伝えることが、自分たちの務めだと思う」と力を込めた。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/247669