来週に予定されているバラク・オバマ(Barack Obama)米大統領の広島訪問は、人類史上初めての原爆投下という、当時のハリー・トルーマン(Harry Truman)大統領の画期的な決断をめぐる感情的な議論を再燃させている。
前任のフランクリン・ルーズベルトの急死を受け大統領に就任してから13日後の1945年4月25日、トルーマンは衝撃的な機密事項の報告を受けた。
「おそらく4か月以内に、人類史上もっとも恐ろしい兵器、1つの都市すべてを破壊できる爆弾が完成する見込み」。当時の陸軍長官、ヘンリー・スティムソン は、手書きのメモでこう記している。
ルーズベルト政権で副大統領を務めていたにもかかわらず、トルーマンはそれまで、世界初の原子力爆弾を製造する「マンハッタン・プロジェクト」の存在を知らされていなかった。
その後4か月の間に、原爆実験の成功、目標の選定、推定21万4000人の命を奪った広島と長崎への「リトルボーイ」と「ファットマン」の投下、日本の降伏が続いた。
トルーマンの決断の早さや背景、余波については、現在も議論の的となっている。特に日本では、原爆投下による市民の大量殺害は行き過ぎで、おそらく戦争犯罪ですらあるとの意見が、世論の大半を占める。
一方、今回の広島訪問は罪の告白に等しいと懸念する識者らは、オバマ大統領に対し、謝罪をしないよう訴えている。
ノートルダム大学のウィルソン・ミスキャンブル教授(歴史学)は、「オバマ氏は5月27日の広島訪問で、トルーマンと距離を取るべきではない。むしろ、恐ろしい戦争を終わらせた大統領に賛辞を贈るべきだ」と書いている。
■「カミカゼ精神」
原爆投下の支持者らは、トルーマンには選択の余地がほとんどなかったと主張している。
1945年春の終わり頃までには、米軍とソ連軍はドイツのエルベ川で合流し、アドルフ・ヒトラーは包囲され、欧州戦線は終わりに近づいていた。
しかし、太平洋戦線では犠牲は拡大していた。日本は多くの犠牲を出し、敗戦は不可避にみえる状況にもかかわらず、降伏の意志を示さなかった。
トルーマンにとって原爆投下の第一の目的は、日本での陸上戦を避けることにあった。本州上陸作戦を実施すれば、少なくとも100万人の米兵と最大250万人の日本兵が動員され、戦死者は25万人、戦争終結は1年以上遠のくと見込まれていた。
原爆実験を成功裏に終え、トルーマンは7月末に日本に最後の機会を与えた。 ドイツ・ポツダムで、トルーマンはソ連の独裁者ヨシフ・スターリン、英国のウィンストン・チャーチル首相と会談。 3首脳は日本政府に対し、「無条件降伏」しなければ「迅速かつ完全なる壊滅」に直面するだろうと警告した。
連合国は、日本側の反応を待ち続けた。そしてその返答をもたらしたのは、当時の鈴木貫太郎首相だった。
鈴木首相は記者らの質問に対し、「黙殺」という、後に悪名を得ることになる言葉で答えた。これが「コメントに値しない」と訳されたため、「米当局者らは鈴木首相の語調に怒り、『バンザイ』や『カミカゼ』精神の典型的な例だと受け止めたのは明らかで、強硬策に打って出た」と、米国家安全保障局は、誤訳の危険性に関する報告書で指摘している。
■原爆の威力、認識せず使用?
トルーマンの側近の中には、原爆投下に反対する人々もいた。後に大統領に就任したドワイト・アイゼンハワーもその一人だった。
しかし、ルーズベルトが20億ドルを投じて長年水面下で進めてきた計画の成果を断念することにつ