【那珂川】矢又の鷲子山上(とりのこさんしょう)神社の宮司を代々務める長倉(ながくら)家で、「水戸徳川(とくがわ)家から拝受した」と言い伝えられきた葵紋入り御神刀が約150年ぶりに見つかった。幕末、太平洋戦争の動乱期などを経て、現代に姿を現した御神刀に、長倉樹(たてる)宮司(66)は「言い伝えは本当だった」と喜んでいる。4月29日から5月8日まで、鏡、勾玉(まがたま)とともに「御神宝」として初めて一般公開する。
同神社は江戸時代、水戸藩領内にあった。2代藩主徳川光圀(みつくに)や9代藩主徳川斉昭(なりあき)が訪れた記録が残る。
長倉家には「水戸徳川家から鏡、珠、短刀などの御神宝を拝受した。刀は光圀公、鏡は斉昭公から頂いた」との口伝があった。23代目の長倉宮司は「祖父はよく『世が世ならすごいこと』と言っていた」という。
幕末、先祖の長倉秀丸(ひでまる)は、水戸藩内の派閥争いで佐幕派の諸生党に属し、戊辰戦争に身を投じ敗れた。その後は明治政府を逃れ、御神宝を持って全国を転々とした。以降、御神宝の所在は分からなくなった。
刀を発見したのはことし3月。長倉宮司が亡母の茶室を整理していると、天袋の収納棚奥から、刀袋を見つけた。中には、銀製の拵(こしらえ)に徳川家の葵紋が入った短刀があった。
ソース
http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/top/news/20160429/2310733
http://www.shimotsuke.co.jp/~/media/NEWS/201604/20160429/CNTS2016042603129_BaseImage_R.JPG?as=1&mh=500