仏はこう言った
「池に石を投げ入れて、周りをたくさんの人が囲んで合掌して歩き回り
『石よ浮かべ、石よ浮かべ』と祈っても石は浮かんでこない。
「池に油壺を入れて、水中で割る。すると壺の破片(死体のたとえ)は沈むが
油は昇ってくる。その池の周りをたくさんの人が囲んで合掌して歩き回り
『油よ沈め、油よ沈め』と祈ってもやはり油は昇ってくる
「だから死んでしまった人の前で『天国に行け』『地獄に行け』と祈ってもどうしようもない
その人が石なら沈むし油なら浮く。その人の性質次第だ」と
仏はこう言った
「池に石を投げ入れて、周りをたくさんの人が囲んで合掌して歩き回り
『石よ浮かべ、石よ浮かべ』と祈っても石は浮かんでこない。
「池に油壺を入れて、水中で割る。すると壺の破片(死体のたとえ)は沈むが
油は昇ってくる。その池の周りをたくさんの人が囲んで合掌して歩き回り
『油よ沈め、油よ沈め』と祈ってもやはり油は昇ってくる
「だから死んでしまった人の前で『天国に行け』『地獄に行け』と祈ってもどうしようもない
その人が石なら沈むし油なら浮く。その人の性質次第だ」と
いや、「油壺が割れる」というのが「死」のたとえなので
油が壺に入った状態だとまだ生きてるんだな
あと極楽という言い方はもともと存在しない
なぜ「天国」と「浄土」が一緒くたになっちゃったのか理解に苦しむ