http://web.archive.org/web/20030820193837/http://www010.upp.so-net.ne.jp/fruit-1/abe.shinzou.html
拉致被害者の話になり、地村さんたちには、最初、「とにかく一度北朝鮮に戻って、子供を連れて帰国するべきだ」という話をしたそうです。しかし、地村さんたちは、この申し入れを断固拒否したそうです。「一度、戻ったら、二度と帰国はできない」ということだったそうです。「私(阿倍)他、政府の人間がたくさん同行すれば、変なことにはならないでしょう」と言うと、「みんなで一緒に行っても、突然銃をもった者が部屋に入って来て、我々を引き離そうとしたら、どうしますか? 阿倍さんたちは、その場で何ができますか?自衛隊も一緒に行ってくれるなら話は別ですが、」と言われ、結局、彼らの言うとおりにしたそうです。
子供が残されてしまった件については、「どうして連れてこなかったのか?」ということを聞いてみたそうです。すると、「むこうでも、子供を連れて行きたいかどうか、何度も尋ねられましたが、連れて行きたいと答えると、帰国できないと思った」そうです。彼らは、拉致されて以来、何度も、その手の誘い水を向けられ、その度に、「日本になど帰りたくない。私は、北朝鮮に永住したいし、日本などは大嫌いだ」と言い続けていたそうです。それを言い続けたから今日まで生き延びられたそうで、一度北朝鮮に戻ったら、「日本になど戻りたくない」と言い続け、日本の悪口を言い続けなくてはならないそうです。むこうでは、家族単位で処刑された拉致被害者は数え切れないほどたくさんいるそうです。(北朝鮮では、処刑というのは、常に家族単位で行われるそうです。親だけ殺すと、その子供は反政府意識をもつから、という理由だと思われます。)
ちなにみ、北朝鮮では、子供は6歳になると親元を離されるそうで、地村さんたちも、子供と会うのは、年に1度か2度くらいだったそうです。そういう事情があるなら、彼らの子供たちは、すでに、あの国の洗脳を受けているうえに、日本語もしゃべれないし、親子の情も通い合わないような状況なのかと思われます。だから「子供と会いたい」とか「連れて帰って欲しい」というよぅなことは口には出してますが、そのために自分の命をかけるつもりにはなれないのでしょう。
もっとも、曽我さんだけは、アメリカ人とのハーフの子をもっていたためか、ずっと子供と一緒に暮らしていたそうです。
確かに書いてあるな