> 不倫夫とヘレン・ケラーについて考えてみる <
二人には共通した問題があるのだろうが、不倫夫がヘレン・ケラーに
成りえない事について考えてみる。
問題を抱えた人に共通することは真実ということばではないか。真実で
あるからこそ、真実に到達する。偽りの心では真実を語ることは出来ない。
不倫は事実であり真実ということなので、偽りはないと開き直ることが
出来そうだが、不倫に至るまでの心と行動に真実があったか、不倫の
発覚によって、真実の不倫が発覚した訳で、不倫が発覚するまで不倫夫の
心と行動には真実は無かったと想像でき、結局、不倫夫はヘレン・ケラー
には成れなかったという結末が訪れたということではないか。
不倫夫には真実とする伝記本が存在する訳だが、この本も不倫によって、
真実とする事実を証明できない、大きな疑問が発覚したことにより、その本を
日本国民として正直に読む事は出来ないのではないか。その内容には
真実ではない真実が含まれている、そして、それがいつしか暴かれる
とすれば、信じてしまった日本国民の心は大きく傷付いたということになる。
250名が出席した誕生日会で戒厳令を連想させる緘口令を指令し、不倫夫の
真実を250名が日本国民に隠そうとしているが、これこそが真実への挑戦であり、
真実に成りえない闇の集団がそこに存在するのではないか。