【福島原発】 安倍晋三首相が視察に来たとき、こう言った。「ここは監獄と同じよ」 #1

1番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2016/03/21(月) 15:11:10.14 ID:2enfQnke

【社会】
「ここは監獄と同じ」 ぬくもりない復興住宅
2016年3月21日 朝刊

 高速道路のインターチェンジに近い、五階建ての復興住宅は、都会のマンションのような、無機質なにおいがした。表札を出している家はわずかだ。
 福島県大熊町から会津若松市の仮設住宅に避難していた門馬五子(もんまいつこ)さん(73)は一年ほど前、郡山市内のこの復興住宅に移った。
 長女宅に近く、東京の息子も来やすいだろうと選んだ。四階の3LDKに一人暮らし。年金から月一万円ほどの家賃を払う。百万円近くかけて家具をそろえ、孫が遊びに来た時のために大きなこたつも買った。
 だが、表情は晴れない。今年の正月明け、上の階の住人が亡くなった。救急車が下に来るまで、異変に気付かなかった。「ドアの向こうで誰が、どんな暮らしをしているのか。部屋に入ってしまうと、お互い分からない」と嘆く。安倍晋三首相が視察に来たとき、こう言った。「ここは監獄と同じよ」
 顔見知りは民生委員の夫婦だけ。会津の仮設で親しかった人は、いったん同じ復興住宅に入ったが、子と同居すると言って引っ越してしまった。
 ペットは禁止で、事故前から一緒に暮らしていた愛猫は長女に預けた。三十分歩いて会いに行くが、「私の顔を忘れてしまった」と寂しそうに笑う。
 仮設での暮らしは、つらかった。薄い畳が体を冷やした。壁は石こうボード一枚で、隣の音が筒抜け。窓の結露にも悩まされた。台所は狭く、まな板を置く場所もなかった。
 大熊町にある築百年の自宅は、避難中に動物に荒らされている。「直すには一千万円じゃきかない。もう住めない」。月十万円の慰謝料は早晩打ち切られ、年金だけが頼りの暮らしになる。家を借りたり買ったりできる余裕はない。復興住宅に入るしかなかった。
 終(つい)の棲家(すみか)と思い、「私はここで死ぬんだ」と繰り返す。でも、知り合いが多く、濃い近所付き合いがあった大熊町での暮らしは、取り戻せない。避難生活は幕を閉じていない。 (大野孝志)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201603/CK2016032102000121.html

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