人間が読むという前提で言うなら内容なんかに関係なくコンピューターが書いた小説なんか感動できん
コンピューターが書いたという事実が後出しで発覚した場合は尚更
それが大多数が抱く人間の感情というもの
誰が書いたのかというのがかなり重要なんだよ
人間が読むという前提で言うなら内容なんかに関係なくコンピューターが書いた小説なんか感動できん
コンピューターが書いたという事実が後出しで発覚した場合は尚更
それが大多数が抱く人間の感情というもの
誰が書いたのかというのがかなり重要なんだよ
そりゃバレなきゃ何も問題無いよ、現実もそんなもんだから
しょせんバレなきゃどんな悪事働いたっていい世の中だ
バレたときが一大事なだけさ
人間のゴーストライターならいざ知らず、機械に書かせてたとかふざけんな、ということになる
小説なんて読む動機は感情オンリーだからね
大多数の人は人間脳>機械でありたいわけだから、機械が書いた感動物語なんか触りたくも無いわけだ
>>33
娯楽品と実用品と食品を一緒くたにして語るなよ
娯楽の中でさえゲームも動画も漫画も小説もまったく異なる物なんだから
小説の話のたとえになってないのでする必要は確かになかったね
大多数の人が小説に求めるものは人間性から醸し出されるものなわけだから
どんなに精巧だろうと人間が作ったものでないなら意味が無いんだよ
茶碗にしても、工芸品美術品として見るのならやはり同様だ
大多数の人間は感情的、情緒的に「手作り」という言葉に弱い
手作りで無いと意味の無い品、そんなもののひとつが小説なのさ
>>39
君のその短いレス文でさえ人間性故の代物だよ
君は人間性というものを極めて狭いものとしてしか見ていないようだね
自覚的であるか無自覚であるかに関係なくどのように伝えたいかと思うかそれこそが人間性の表れだ
機械が俺や君の書いたのと同じ文を書くことは永遠に無い、あってはならない
もしそれが可能になったのなら人類が滅ぼされるのもあっという間だろう
感情が無ければ小説なんて書けない
感情を持つということは機械と機械が俺と君のようなやり取りを行いうるということ
喜怒哀楽無い所に小説などの文芸創作は成立しないからね
優れた小説を書けるようなAIなど作ってはいけない、これ以上やばいことはない
まともな文章を書くぐらいには進歩してほしいよ
機械の翻訳文はひどいものだからね