幣原は、
告文・憲法発布勅語・憲法上諭により憲法制定目的が歴代天皇の代々の臣民の「慶福」であることを無視して、憲法や憲法に由来する法により定められた権限を恣意的に行使出来るとし、
権限を地位に伴う権利と考える美濃部や上杉の反立憲民主主義の理屈の信奉者であったため、
憲法制定目的である臣民の「慶福」を無視して、憲法により与えられた権限を個人的信念や利益の満足のために行使し、あるいは行使しなかった。
美濃部上杉の憲法制定目的を無視する反立憲民主主義の信奉者で実践者でもあった幣原が、
憲法で、国民の利益に反して自衛軍や自衛戦争、制裁戦争を禁じることが出来ると思い込んでいた可能性はあるが、
国民が国政の福利を享受することを保障し国民の人権と利益守る法である憲法で、自衛軍自衛戦争制裁を禁じ得ないと判断したGHQは、
マッカーサー草案の自衛の否定の項
Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security.
日本は、紛争解決の手段としての戦争のみならず、自国の安全を維持する手段としての戦争も放棄する。
GHQ憲法草案から外す。
軍ではない自衛隊みたいなものは認められるということになる。
衆院で、九条二項冒頭に「前項の目的を達するために、」と追加する芦田修正が成され、
自衛軍の保有が可能となる解釈が可能に成る。
極東委員会の要求により、第六十六条二項の、閣僚を文民とする文民条項が挿入される。
六十六条文民条項との整合性を考えるなら、九条は自衛軍の保有を認めているとする方が筋がいい解釈ということになる。