ならばなぜ動物か。そしてなぜ動物ならば子孫を残すか否かしか見ないのか。
LGBTが動物に例えられやすいひとつの原因として、その上記の疑問とその論理構造から、
主に子孫を残す部分でLGBT人類が問題を発生している、というように展開することが出来る。
勿論、猿みたいに性行為を繰り返して病気伝染の原因となることや、社会の中の現在できあがっている規律を乱すことになるなど別の理由も存在するだろう。
すると、人類は動物と違い、子孫を残すこと以外の活動も行うことが示唆される。
子孫を残すこと以外も人間の活動とするのならば、その子孫を残さないLGBTが人類として認められても良いではないか?という視点が生まれる。
確かにそれもありだ。だが、その場合、「人類の中で子孫を残さない人達」というグループに属することになる。
負け組や性機能障害者など、色々な人達がそこに属するが、大雑把に言ってしまえば奇形児達と同じ枠組みになる。
LGBTをそんな障害者として扱うことは、障害者手当など国民の血税を要するさらなる問題を生む。ならばいっそのこと動物として扱ったほうがシンプルでないか?