2003年4月24日、公認会計士の平田聡氏が、りそな銀行国有化の直前に暗殺された。
https://web.archive.org/web/20140706072515/http://www.asyura2.com/13/cult12/msg/400.html
平田聡氏は、朝日監査法人のシニアマネージャーとして、りそな銀行の会計監査を担当していた。
当時、りそな銀行は他の銀行と同じように自己資金不足に悩まされていたが、将来発生する税金を損金として当期に前払いしたと考えて会計処理することによって生じる繰延税金資産の5年計上が認められればクリアできる問題だった。
他の大手銀行では認められていたものだったが、りそな銀行に対する繰延税金資産の5年計上は認められなかった。
日本銀行出身で金融庁の顧問であった木村剛の意向を受けて、りそな銀行の会計監査を担当していた新日本監査法人は、りそな銀行に対する繰延税金資産を3年分しか認めず、それによって自己資本比率は国内基準である4%を大幅に下回る2%台に転落した。
りそな銀行は自己資金不足に陥り、政府に対して預金保険法に基づく資本注入を申請した。
これによって総額2兆円程の公的資金が普通株として注入され、2003年5月、りそな銀行は国有化された。
この間、平田聡氏は、朝日監査法人の上層部とその背後にいる木村剛らに激しく抵抗していたが、2003年4月24日に暗殺された。
山口敦雄著「りそなの会計士はなぜ死んだか」を読んだ感想
https://archive.is/nMrbU
山口氏は、自殺説を基本に書いているが、これは「竹内文書」の竹内巨麿が本の出版をする条件として明らかな嘘を散りばめたことに通じるものがある。
山口氏も本来主張したかった他殺説を隠して、あえて自殺説を展開していると思えたのである。
山口氏は「この事件のもう一つの見方」として2002年10月の金融再生プログラム(竹中プラン)を取り上げ、平田聡会計士を死に追いやった重要な背景として記している。