現役引退の谷佳知が語った「残り72本よりも大切なもの」
webスポルティーバ 12月28日(月)19時0分配信
引退セレモニーでチームメイトから胴上げされる谷佳知 photo by Kyodo News
10月3日、京セラドーム大阪で行なわれた谷佳知(オリックス)の引退試合。球場内には大々的にポスターが貼られ、イニングの間には谷の現役時代を振り返る映像が繰り返し流れた。主役の登場は7回一死一塁。大歓声に迎えられ、谷は代打として打席に入った。
反重力か? 武田翔太の「2回曲がる変化球」に大谷翔平も驚愕
マウンドにはソフトバンクの急成長右腕・武田翔太。現役最後の打席を味わうという考えは最初からなかった。これまでと同じように、来たボールに対して反応するだけだった。その初球、武田が投じたストレートに体が勝手に反応し、バットを振り抜いた。
「タイミングは合っていなかったし、芯も外れていた。ヒットになるとは思っていなかった」
執念で打ち返した打球はライトの前で弾み、これが通算1928本目のヒットとなった。8回表にはライトの守備につき、一死になったところで駿太と交代。ベンチに戻り、笑顔でナインとハイタッチを交わし、深々とスタンドへ頭を下げ、19年の現役生活に別れを告げた。
尽誠学園(香川)から大阪商業大を経て、社会人の三菱自動車岡崎に進んだ谷は、「どうやってヒットを打ち、いかに遠くに飛ばすかを考えて練習していた」の言葉通り、連日の打撃練習で卓越したバットコントロールを身につけた。それがスカウトの目にとまり、96年のドラフトでオリックスから2位指名を受け入団。
しかし、プロ生活の始まりは順風満帆とは言い難かった。即戦力として入団しただけに、結果を出さなくてはならないという焦りもあった。キャンプでのバットスイング中、左手の中指に突然、これまで感じたことのない痛みが走った。力を入れるだけでも痛むため、バットを握ることもできなくなってしまった。
「バネ指(指の腱の炎症)といわれるやつだった。どうしようかと思った。1年目なのに、もう野球を辞めないといけないのかとも考えた」
中指が握れないため、親指と人指し指に力が入りづらい。だから、「左手は薬指と小指の2本しか使えなかった」という。ケガの影響もあり開幕一軍は逃したが、それでも練習を休むことはしなかった。
「ケガのことは周囲に言えなかったし、言う必要もないと思っていた。結局、最後まで治ることはなかったね。でも、もしかしたらいい形で力が抜け、バットを振れていたのかもしれない」
一軍に昇格し、プロ初出場を果たしたのは5月末。谷はそこから秘密を抱えたまま、ヒットを重ねていった。
07年にオリックスから巨人に移籍し、13年までの7年間で5度のリーグ優勝に貢献した。しかし、年々、出場機会は減っていった。そして楽天の日本一で終わった13年の日本シリーズ第7戦のあと、「来季の契約は結ばない」と通達された。
巨人時代、もう少し出場機会が増えていれば、2000本安打という大記録を達成していたのかもしれない。しかし、谷は首を横に振った。
続き
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151228-00010004-sportiva-base