人殺しの息子と呼ばれて 「家族の差別考えて」男性講演
「人殺しの息子」。そう呼ばれ、もがきながら生きてきた27歳の男性がい ま、全国で講演を続けている。
幼かったころの自分を振り返り、加害者家族への差別や、生きづらさを抱え て暮らす子どもたちへの理解を訴える。
23、24日には福岡市内で演壇に立 つ。
■「信頼できる大人、必ずいる」
男性は 名古屋市の会社員大山寛人さん。
父親は1998~2000年、事故に見せかけて自身の養父を殺害したほか、妻を浴槽で水死させた後に事故を装って岸壁から車を海に沈めた。
11年6月、 最高裁で死刑が確定した。
自分の母親が父親に殺された事実は、中学2年の時に父の逮捕を伝える報道で初めて知った。
発生当時は小学6年。当初は事故だと教えられ、信じていた。
母を失った被害者家族の立場でもあったが、世間はそう見てはくれなかった。
勉強もできるまじめな子だったが、「父のことでいじめられる」と不安になり、自分を強く見せようと、盗みやひったくりなどの「悪さ」を重ねた。
膨れあがった父への恨みや憎しみは、 悪さをしている時は忘れられた。「中学生の自分が考えた、心を守る最善策だった」
親戚宅に身を寄せたが居づらくなり、中学を出てから友人の家や公園のトイレで寝起きした。
親、ご飯、寝場所……。友人には当たり前のものが自分にはない。自殺未遂を繰り返し、 少年鑑別所にも入った。
荒れた生活から抜け出す一つのきっかけを与えてくれたのは、小学時代からの友人の母親だった。
自宅に招き、自立できるまで月2万円で住まわせてくれた。
「帰る場所、受け 入れてくれる人。あの頃の僕には何よりも必要でした」
だが、働こうとすると、「人殺しの息子」がつきまとう。面接で落ちた回数は数え切れない。
父のことに触れずに働き始めても、匿名の電話でクビになった。
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