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●服部 幸應 氏(学校法人服部学園理事長、服部栄養専門学校校長)
『食卓崩壊は日本国憲法にあり』
昔、朝と晩の二回は一家団欒で食卓を囲んだものでした。
近頃の家族は一緒に食卓を囲む機会がめっきり減ってきたようです。
家族とは、同じ屋根の下で家族みんなで食事をすることこそ家族なんです。
子ども達の行儀の悪さは目に余ります。これは核家族化したことにも原因があります。
ここまで家族の絆がバラバラになってしまった原因の本体は国家の根本である憲法にあると思っています。
理由の一つは、憲法の第三章「国民の権利及び義務」です。そこで言葉の登場回数を数えてみたところ「権利」は16回、「自由」は9回だったのに比べ、「責任」と「義務」は各わずか3回のみです。それから、ここには「家族」という言葉が一切出ていません。
出てくるのは「個人」だけ。日本の良い所は家族制度であり、責任感であり、倫理観だったはずです。(アメリカの憲法の第三章には家庭という言葉が多くでてきます)
それらを全部取りさるために家族をバラバラにして、責任も義務も教えずに権利と自由だけを強調しているのです。その結果何が起きたかというと、みんな「個人」になり、家族が失われてしまったのです。その流れの中で食卓も崩壊していったのです。
今こそ憲法を変えることで元の様な家族が戻ってくるように思われてなりません。
日本国憲法は、昭和21年に、たった1週間ほどで21人のGHQのスタッフが作成した憲法であり、神風と呼ばれた特攻隊によって体当たり作戦に出た日本兵が「お母さん」と呼んで散っていったことから、家族性が強く体当たりも辞さないことでアメリカとしては、家族の絆を断ち切る事が望ましいと思って作った憲法のようです。
アメリカは1945年以来、憲法を6回も改訂をしました。ドイツは連合軍により作られた憲法を56回改訂しました。フランスは28回とほとんどの国が憲法を時代に合わせて変えているのです。
日本も「食育」が家庭に反映するように、第3章から変えてみてはどうでしょうか。もっと食卓崩壊を止められるように。