1989年の「ベルリンの壁」崩壊につながる発表を予定より早く行ってしまった元東ドイツ高官が1日、ベルリン市内で死去した。86歳だった。
東欧各国で共産党政権に対する民衆運動が高まっていた1989年、社会主義統一党(共産党)のギュンター・シャボウスウキ氏は報道担当の政治局員だった。
ハンガリーが西側国境を開いたのを受けて多くの東独市民がハンガリーに流入するなか、この流れを食い止めようと東独政府は旅行手続きの簡易化を計画していた。
シャボウスキ氏は11月9日にこの計画の概要を説明するため記者会見を開いた。しかし会見に出席していた当時のBBC特派員、故ブライアン・ハンラハン記者によると、翌朝に発表されるはずだった旅行自由化措置を、シャボウスキ氏はこの時点で明らかにしてしまった。
手続きの変更はいつからかと質問されたシャボウスキ氏は、「これは、私の知る限り……ただちに……滞りなく」と答えた。
このニュースが伝わり、数万人の東独市民が東西ベルリンを隔てる境の検問所に殺到。何の知らせも受けていなかった警備兵たちは、押し問答の末、膨れ上がる人数を前についにゲートを開いた。壁崩壊に至る流れが、これで始まった。45年間分断していた東西ドイツは、1年もたたないうちに再統一されていた。
シャボウスキ氏は1997年に、西側への亡命者を発見次第その場で射殺するという東独の政策に関与した罪で実刑3年の判決を受けたが、その翌年に恩赦で釈放されている。
2009年に発表した自伝では、東独政権には致命的な欠点があったと非難していた。
http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-34696018