難民受け入れ問題をスルーしたら、日本のリベラルは終わり
『週刊プレイボーイ』本誌で「モーリー・ロバートソンの挑発的ニッポン革命計画」を連載中のマルチな異才・モーリー・ロバートソンが語る。
シリアなどからの難民受け入れ問題が世界的なトピックになっていますが、先日、元国連難民高等弁務官の緒方貞子さんが日本政府に苦言を呈していました。緒方さんはこう言います。
「難民の受け入れくらいは積極性を見いださなければ、積極的平和主義というものがあるとは思えない」
ご存じのように安倍政権は“積極的平和主義”をうたっていますが、こと難民認定に関していえば、日本政府はおよそ先進国とは思えないほど消極的な姿勢を続けている。
緒方さんは「(難民高等弁務官を務めていた1991年から2000年)当時からその状況は変わっていない」と、現状を嘆いています。
今からちょうど20年前の1995年――映画『ホテル・ルワンダ』でも描かれたルワンダ大虐殺の翌年――緒方さんは国連本部で素晴らしい演説をされており、その中に次のような一節があります。
「難民は慈善を求め、絶望の声を上げるだけの存在ではありません。彼らは社会に変化をもたらし、文化を相互に融合させる使者となり、活気をもたらすのです」
ともすれば厄介者扱いされがちな難民こそが、社会の閉塞(へいそく)感を打ち破る力になる。そう訴えたのです。
この演説はルワンダ問題に関して消極的だったアメリカに対する「この状況を無視できるのか」というメッセージでもありました。今回も緒方さんは日本に国際的な貢献を求めているわけです。
しかし、日本の世論はどうでしょう。「難民なんか入れたら、国がめちゃくちゃになる」などとレイシズム同然の発言を堂々とする人も少なくない。
あるいは、難民や移民の受け入れには賛成といいつつ、日本人より低い立場の“下働き”をあてがえばいいという考え方も目立つ。
実際、農業分野における外国人技能実習制度などは“奴隷労働”の温床と化している。
チャンスを公平に与えず、彼らを経済的に追い詰めておきながら、一部の外国人が犯罪に走ると一気に排斥の機運が高まる…。
難民の受け入れ拒否は国際社会の信用を大きく損なう一方、この日本社会の不正義を野放しにしたままで受け入れてもうまくいかないのは目に見えている。
つまり、いかに彼らを受け入れるかを今すぐにでも考える必要があるんです。
こうした議論や運動は本来、リベラルを自任する人々が取り組むべきことです。国会前で【#Refugeeswelcome(難民歓迎)】と書いたプラカードを掲げなきゃおかしい。
「日本だけは戦争に巻き込まれたくない」という内向きのデモばかりで、中国の人権問題も難民問題もスルーする“自称リベラル”を、僕はリベラルとは呼びたくない。
安倍首相は9月30日、国連総会で難民支援拡充を表明しました。今はまだ金銭面にとどまっていますが、もし本格的に「受け入れ」へと舵を切れば、
自民党内外のレイシストを排除すると同時に無党派層を大きく取り込むことになるでしょう。
その時、野党はどうする? 「日本人の賃金が下がる」などと反対すれば、日本のリベラルは終わりです。
この問題に全力で、しかも安倍政権より早く取り組むことこそが、烏合の衆による「安保法制ハンタイ」より、はるかに強い風を生むはずです。
http://wpb.shueisha.co.jp/2015/10/14/54902/