自民党に接近した橋下氏の変節
「維新の党が政権を取るのではないか」と予測されるほど橋下人気が急上昇したのは、「大飯原発再稼働をゴリ押ししようとする野田政権を倒す」と倒閣宣言をしたのが発端だった。この時、戦う相手は原発再稼働を推進する勢力であって、橋下氏は脱原発派の一部からは、「頼もしい助っ人」のように映っていた。
同時に、民主党の野代政権に立ち向かうことで、自民でもない、民主でもない、「第三極」の代表であるかのようにふるまうことができた。
元改革派経産官僚の古賀茂明氏や環境エネルギー政策研究所の飯田哲也所長や河合弘之弁護士らがメンバーの「大阪府市エネルギー戦略会議」を立ち上げ、原発再稼働なしでの節電計画を作るなどして“原子力ムラ”の総本山の経産省と渡り合い、政権批判も繰り返した。
この頃は「大阪から日本を変える」というキャッチフレーズが説得力を有し、当時、旗揚げをした維新の党は、政権与党の民主党や野党の自民党をも上回る支持を集めた。
しかし橋下氏はその後、一転して再稼働容認に転じ、原発問題を口にしないようになった。その一方で、安倍晋三首相や菅官房長官との接触を繰り返しながら、自民党との距離感を縮めていった。「大阪系は第二自民党(官邸別動隊)」と囁かれるようになったのはこのためだ。
去年7月の滋賀県知事選で橋下氏は、元経産官僚で自公推薦の小鑓隆史候補を応援した。大飯原発再稼働に共に反対した嘉田由紀子・前滋賀県知事から「小鑓候補は原発推進」と忠告されたが、橋下氏は「都構想でお世話になっている菅さんに頼まれた」と言って応援演説を止めることはしなかった。「橋下氏は大阪市民の命と安全を守ることよりも、安倍政権との関係を優先した」と批判されたのはこのためである。