この見方を裏付けるのが、9月28日付産経新聞の記事だ。「維新分裂『壊し屋』見え隠れ 小沢氏、代表選で松野氏援護」と銘打った記事の中で、大阪系が代表選を制する狙いで党員票と議員票の格差を同等にしたことや、党員数が約8千人から5万人以上に増えたことを紹介した上で、「橋下氏は代表選で大阪系が負ける前に先手を打つ形で党を割った」(維新関係者)という決定的なコメントが載っていたのだ。
この記事では、維新の代表選挙にあたかも小沢氏個人が介入して、画策しているかのように書かれており、主題がズレているが、重要なポイントは「橋下氏が代表選挙に負けるとわかって離党を決意した」という、この部分である。
前出の永田町ウォッチャーはこう分析する。
「産経新聞の記事は、『党員数増加に小沢一郎氏が関わっていた』と強調することで、『大阪系(新党組)の“敵前逃亡”を覆い隠す』魂胆がありありと見てとれます。大阪系は自らの主導で『代表選党員一票制』を決めておきながら、党員集めの努力を怠って非大阪系(東京組)に追い抜かれたことに気が付くと、白旗を上げるかわりに、悪態をついて維新の党から出て行ってしまった。大阪系は『間抜けで姑息な人たち』と言いようがない。
たとえ党員集めでも後れを取ったとしても、代表選で大阪系候補者を擁立し、『松野代表ら現執行部は偽物。本物の維新を取り戻す』といった政策論争を仕掛け、政治家として堂々と勝負することをしなかったのです。大阪系は『非大阪系の党員票を切り崩すことを諦めた』ともいえますが、それほど橋下氏の人気(影響力)は低下してしまったことを物語るものでもあります」。
大阪以外での橋下氏の人気、人望の暴落は、たび重なる虚偽・有言不実行の果てに多くの有権者が愛想を尽かしたのであり、本人のせいであって、誰のせいでもない。