外人「日本は殺人事件で国籍を報道する人種差別国家。共生することが大事。外人の王貞治に国民栄誉賞はおかしい」 #1

1番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2015/09/28(月) 08:25:55.78 ID:VgcVaVrt

多文化が共に楽しみ、力にかえ、共に笑える世を願う人間にとって、最も見聞きしたくないのは、共生をマイナスとして捉えられかねない報道である。
過去の教訓や現状を参考に、平和で持続可能な未来日本像について真摯に考えるほどその気持ちが強くなる。

生憎ながら、私などの30年ほどの日本滞在中にも何度かこれらの不都合な真実(報道)を耳にした。
もっとも最近のものだと「ペルー人男性による殺人事件(ママ)」がそうだった。
「日本において、外国出身者による犯罪などは起きてほしくない」と願っている身としてこれほどショックなことはない。
事件の報道を聞いた瞬間、内心「しまった」と悔しい思いをした。

私は「違いを楽しみ、力にかえる、多文化共生"新"時代」などの題名を引っさげて、
日本のあちこちで講演をしているが、この手の事件が起きてしまうと、「共生」について語っても、
誰も聞く耳をもってくれないのではないか、と自問自答をした。

それにしても、世の中の報道について素朴な疑問を抱くことも少なくない。
そこには一種の偏りが見える。そこにはいつも共通して存在しているキーワードがある。
個人として持ち合わせている言葉で言うと、それは「多数派本位」ということになる。
報道の一つ大きな特徴は、社会の多数派に向けて、多数派によって、多数派視点で発せられているということである。
2005年にも広島で「ペルー人による事件」(ママ)があったが、それから10年が経っていても報道の立ち位置に変化はない。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/nishantha/20150927-00049907/

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