1 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2015/09/25(金) 15:42:28.70 ID:WAudFe1Nhttp://hon.bunshun.jp/articles/-/2668
血のコストを忘れた国民は好戦的になる
国際政治の構造とは別に、国家の意思決定に着目した次元が前述の「シビリアンの戦争」の問題群である。それは、血を流す兵士と異なりコストを意識しにくい政権と国民が民主的に選び取る戦争である。第二次世界大戦後、米英仏、イスラエル等の豊かな民主国家が行ってきた主要な戦争の殆どがこの類型である。先進国の政権が民意に支持されて、力の劣る国に対し軍事介入を決断する場合、核抑止や国際法だけでは防げないことを歴史は示している。核抑止は核保有国間の戦争を封じることにしか繋がっておらず、主権国家が欲すれば、国際法は自国に有利なように運用解釈することで事実上回避できるからだ。こうした小中規模の戦争が、現在取り組まなければいけない平和への課題である。
それに対する処方箋は、「血のコスト」を平等に負担することで国民のコスト認識を変えさせることである。もちろん、敵意を抱えながらも国民が戦争を思い止まるだけが平和の最終形態ではない。図の外側には時代の底流としてのグローバリゼーションの力学が存在する。貿易や投資などの経済活動を通じた相互利益の増進や、人々の移動や交流に基づく相互理解を通じて、全般的な敵意の低下がもたらされる。グローバリゼーションに「望まれた」という枕詞をつけたのは、望まれてこそグローバリゼーションは利益に基づく他者の受容を導き出すことができるからで、望まれない形で進行する限り、却ってテロをはじめ平和への敵になることもあるからだ。
しかし、第二次世界大戦後、先進諸国は韓国とイスラエルを除いて次第に徴兵制を形骸化させまた廃止してきた。スウェーデンは、近年徴兵を廃止して志願兵制でも移民二世に頼るようになった。それと時を同じくしてPKO派兵に積極的になっている。軍人を輩出する層が厚い米国でも、米国籍未取得の移民兵が増えてきているというのが現実だ。その行き着く先は、兵士と市民の分断であり、共感の欠如である。
2 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2015/09/25(金) 15:43:27.36 ID:WAudFe1N 徴兵制が平和にプラスに働いている実例を挙げよう。韓国では、徴兵者が前線に派遣される現実が影響して、民主化以後は北朝鮮からの攻撃に極めて自制的に対応している。国民感情も北に対しては総じて抑制的である。民主主義の成熟度が高いイスラエルでは、予備役兵が数々の平和運動を創始してきた。彼らは醜い戦場の現実を知り、戦時には動員されるためコスト感覚も鋭敏であり、不合理な戦争に対しては市民に先んじて抑制主義に転じる。戦時には、政府が残酷かつ無意味な軍事作戦をしていないか目を光らせる存在でもある。確かに、兵役には市民を抑圧する部分や民族主義を強化してしまう側面もある。だが、両国が置かれた安全保障環境の厳しさを考えれば、徴兵が政権の判断に民主的にタガをはめていることは確かだ。むしろ問題は、イスラエルにおいて近年の応召率の低下と共に世論が介入賛成に振れ易くなっていることだ。
これまで、徴兵制といえば、日本でも超保守派の専売特許のように考えられてきた。青年に共同体への奉仕として軍務を呼びかけ、国民教育の効果を狙った徴兵論も垣間見られる。だが、社会で派兵を決める主要な意思決定集団は青年よりもむしろ老壮であり、教育階層である。老壮青を問わず、富める者も貧しい者も、また男女の別なく徴兵制を施行してコスト認識を変えさせることが、平和のための徴兵制である。徴兵制は兵舎での国民教育や軍人精神共有の場ではなく、戦時には無作為に動員されるものとしての現実味がなければならない。結果として、それはナショナリズムを煽るものではなく抑制するものとなるはずだ。自らの命や家族の命を懸けてまで倒すべき悪というのは、世の中にそう多くはない。我々はその事実に改めて目を向けるようになり、責任を伴う平和を手にするだろう。
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