ともに第二次世界大戦の敗戦国であるドイツと日本、どうして差がついたのか・・・ 慢心、環境の違い #2

2番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2015/09/15(火) 10:26:20.00 ID:hvfxg13a

―過去への真摯(しんし)な反省こそが、結果的に「国益」へとつながるのだという発想ですね。
熊谷 具体的な例を挙げましょう。例えば、日本と中国の間ではいまだに南京大虐殺の犠牲者が30万人なのか2万人か、あるいは3千人なのか…といった論争が存在し、それが延々と続いています。
従軍慰安婦の問題も似ていますね。でも、ホロコーストの犠牲者数については「ナチスが600万人を虐殺した」ということでドイツとイスラエル、あるいはユダヤ人社会との間ですでに決着がついている。
数についての議論はもう存在しません。

実際にはナチス・ドイツが証拠となる書類を破棄しているので、「600万人」という数字に具体的、科学的な根拠はないのです。
しかし、ドイツは厳密な犠牲者の数ではなく、ナチスがホロコーストで大勢の人たちを虐殺したという「本質的な事実」を重視し、ユダヤ人社会、あるいはイスラエルと和解することを優先した。
そのため「犠牲者数」についての論争はない。
「木を見て森を見ず」といいますが、ドイツの政治家は「犠牲者数」という「木」ではなく、「森」を見ることが自分の属する国家、民族にとって利益になることを理解していたのです。
また、連合国によるニュルンベルク軍事法廷で戦争犯罪が裁かれた後も、ナチスが犯した計画的で悪質な殺人については「時効を廃止」し、
ドイツが自国の司法システムの下で戦後70年を経た今もナチスの戦争犯罪を訴追し続けているというのも、日本との大きな違いではないでしょうか。

さらに言えば、歴史認識に関する教科書の記述に関しても、フランス、ポーランドなど、かつて戦争で被害を与えた国々と「教科書会議」を設立し、
長年、ナチス時代に関する記述について双方が納得できる内容を確認する作業を続けてきました。
(つづき)

過去に大きな過ちを犯したドイツがこうした努力を少しでも怠ったら批判される…。
この過去と向き合う作業に終わりはないのだという意識を、すべての政党と国民が共有しているからできることだと思います。

―日本では安倍首相が「戦後70年談話」に「謝罪を次の世代に背負わせてはならない」という文言を盛り込んだことが話題になりました。
熊谷 ドイツのヴィリー・ブラント元首相をインタビューする機会がありました。歴史認識を重視した非常にリベラルな政治家として知られる人で、
彼もやはり「戦後に生まれた若い人たちに昔のドイツ人が行なった罪を背負わせるのは反対だ」と語っている。
でも、彼はそれに続けて、「ただし、今の若者もドイツの歴史から逃れることはできない以上、ナチスが犯した過去の罪について正しく知る必要がある。
そうして自分の国の歴史と批判的に向き合うほど、かつて自分の国が被害を与えた国々や民族との関係を改善できるのだ」とも語っています。

私は決してこれを自虐史観とは思わない。むしろ、日本も含めてどの国にも当てはまる普遍的な真理だと思うのです。

http://wpb.shueisha.co.jp/2015/09/15/53580/

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