2015年5月、大分県の動物園の猿に、英国王室にちなんで「シャーロット」という名前が付けられたと報じられた所、
全国から抗議が殺到したという。私は騒動の直後、この動物園に電話取材した所、
動物園と大分市の担当部署に1,000件を超える電話やメールがあったという。
当初広義の声が多数だったが、英国王室が問題とせず、動物園側が「命名を撤回することはしない」と宣言した所、
その抗議の声は次第に賛同、激励の内容に変わっていったという。
一部の先鋭的なユーザーの声をそのまま「一般国民」や「世論」に置き換え、その声を受け入れることは、非民主的である。
少数の攻撃に惑わされず「シャーロット」の命名を断行した大分県の動物園の行動は、今思えば正しかったといえる。
あらゆる組織や企業へのクレームもそうだ。ほんの数件の抗議、数人のクレームを世論と受け止め、
企画やCMが頓挫したり放映中止になる事例が、近年相次いでいる。
クレームの背景に世論があると錯覚しているからだが、繰り返し言うようにこのような声は特定のクラスタから発せられるもので、世論ではない。
時としても黙殺することが求められる。
問題はこのような一部の熱心なユーザーの「狂騒」を既存の大手マスメディアが取り上げ、大々的に報道することにある。
それにより、圧倒的大多数の「ROM専」がその報道の存在自体に影響され、「なんとなく問題なのではないか」と思い始める。
一部から始まった狂騒がメディアによって「世論」の中に放り込まれ、いつの間にかそれが世論になっていく状態は、「扇動」という言葉がピッタリ来る。
時代が時代なら、それは時としてプロパガンダとして喧伝され、危険な勢力の対等にもつながっただろう。
熱心なユーザーの「狂騒」を伝えるメディアは、このことに自覚的に成るべきだ。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/furuyatsunehira/20150903-00049142/