「最近、洋子さんはしきりに、『晋三の体調が心配』と周囲に漏らしています。洋子さんは、総理私邸の3階、安倍夫妻が暮らすワンフロア上に住んでいますが、ことあるごとに総理の所へ行き、『体重は減ってない?』『今日は何を食べた?』『夜は眠れているの?』と聞き、これ以上ないほど気をつかっているのです。
総理は慶応大学病院で定期的に人間ドックを受けるのですが、その予定についても、『そろそろ健康診断する頃だったわよね』と念入りに確認しているそうです。
総理の体調がすぐれない時は、消化にいい具材で雑炊を作っている。いままではお手伝いさんに作らせることが多かったらしいのですが……。洋子さんがここまでするのに驚いています。若くして亡くなった夫の晋太郎(元外務相)さんを重ねているのでしょう」(安倍家と親しい関係者)
三代の権力を支えた女
洋子さんは、政界の「ゴッドマザー」と呼ばれる。「妖怪」岸信介元総理の娘として生まれ、のちに自民党のニューリーダーと称された安倍晋太郎氏の妻となり、我が子、晋三氏を、総理のイスに再び座るまで育て上げた。
父を亡くした後の晋三総理に、政治家としての立ち居振る舞いを叩きこみ、「帝王学」をほどこしたのは、洋子さんだったと言われている。
安倍総理が'03年に幹事長になってからも、
「あなた、早口過ぎて、お年寄りの方には聞き取れないわよ。それにあんまりキョロキョロしないように」
などと指導を怠らなかった。総理は当時、朝出かける際に洋子さんに会うと、必ず90度のお辞儀をしていたという。その姿は、上司と部下のようだと言われた。
「洋子さんは、父親である岸元総理の最大の目標であった憲法改正を、何とかして実現するということを目標にかかげてきた。そのために、夫である晋太郎元外相、息子の安倍総理をはじめとした、一族の政治家たちに期待をかけ続けてきた」(政治評論家・浅川博忠氏)
夫の晋太郎氏は、総理大臣一歩手前まで行った。しかし、外相や党幹事長など要職を歴任し、無理をして外遊等を続ける中、膵臓がんが発覚。それでも総理の座を求めて政治活動を強行し、'91年、67歳で亡くなった。
その時、洋子さんが、「最後の切り札」として政界に送り出したのが、晋三氏だったのだ。
「晋太郎さんが死んで、わずか2ヵ月ほどで、洋子氏は安倍氏の次期選挙出馬の準備を始め、'93年の初の衆院選では、選挙区の端々まで歩いて回るという気の強さを見せました」(地元紙記者)
だが、そうして自ら「鉄の女」と化し、岸家と安倍家を守り支え続けてきた洋子さんに、大きな心境の変化が出始めているというのだ。地元の後援会幹部はこう話す。