【Next特高警察】「戦争ダメ」言える自由 戦時中に拷問、106歳の伝言 #2

2番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2015/08/13(木) 16:54:46.80 ID:W0P09+qk

■理不尽、あきらめた時代

 ――判決後、大阪へ。兄が営む製粉会社で働き始めた後の40(昭和15)年、再び逮捕される。太平洋戦争が始まる前年だった。

 同じ頃、共産主義グループの中心メンバーが刑期を終えていました。そのメンバーらと私が組織を作ると思ったのか、東京の特高が大阪までついてきたようでした。組織は作っていませんでしたが、友人にもらった勉強会のビラを持っていたとして逮捕されました。

 大阪の特高には拷問されませんでしたが、留置場は不潔でした。便所はなく、房に開いた穴で用を足しました。判決は懲役2年の実刑。42(昭和17)年に刑務所を出た時、社会はどんな理不尽なことでも「戦争だからしゃあない」という、あきらめるしかない時代になっていました。

 ――姉の長男(当時24)が出征。30代半ばの西川さんにも召集令状が届く。

 出征することは名誉なことで、涙を見せてはいけないという空気。長男を見送った姉は1人で泣いていました。私は三重県内の連隊へ。長い勾留生活で体力が落ち、心臓も弱っていました。「医者から走るなと言われている」と上官に言うと、家に帰されました。

 45(昭和20)年の8月14日、大阪の淀屋橋で「広島と長崎に新型爆弾が投下され、もう勝ち目はない。天皇陛下に戦争を終わらせるように訴えよう」というビラを拾いました。翌日、電車内での将校の話から戦争が終わったと知りました。もう空襲はないと、ほっとした一方、「これから日本はどうなるのか」という不安が大きくなりました。

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