【Next特高警察】「戦争ダメ」言える自由 戦時中に拷問、106歳の伝言 #1

1番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2015/08/13(木) 16:53:51.21 ID:W0P09+qk

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150812-00000032-asahi-soci

 70年前に終わった戦争は様々な教訓を残した。その一つが自由に考え、語り、表現することの大切さだった。戦時下で抑圧された人は、「戦争をする国」への道を開くともいわれる安全保障関連法案をどうとらえているのか。大阪で存命の106歳、西川治郎さんの思いを聞いた。

■棒やロウソクで拷問受けた

 ――西川さんは1909(明治42)年、今の三重県南伊勢町に生まれた。

 8人きょうだいの6番目に生まれました。三男で、13歳のときに丁稚(でっち)奉公に出た大阪の商店主がクリスチャン。15歳で洗礼を受け、「将来は牧師になりたい」と思っていました。

 ――洗礼の翌年の25(大正14)年、治安維持法が施行。軍部が国政に影響を及ぼすようになり、31(昭和6)年には満州事変が勃発する。

 中国への侵略戦争を容認してしまい、世の中がおかしくなっていると思いました。だが、特高(特別高等警察)に逮捕・拷問されるのが怖くて、公の場で「戦争反対」なんて言える雰囲気じゃありませんでした。そんなとき、「日本戦闘的無神論者同盟」という共産主義の影響を受けた団体と出会い、東京などで軍国主義を批判するビラ配りをしていました。

 ――34(昭和9)年1月20日、特高に逮捕された。

 特高が夜遅く、東京・浅草の下宿先に十手のようなものを持って来ました。同じ下宿の人に案内されて。逮捕の理由は聞かされず、令状も見せられません。妻と一緒に警察署へ連行されて、「天皇陛下に反対するやつだから、誤って殺しても、おれ(取調官)は罪にならない」と言われ、拷問も受けました。

 腰掛けているイスに手錠で固定され、動けない。そのまま太い木の棒で、太ももを繰り返し殴られる。ロウソクの炎で鼻をあぶられたこともありました。

 ――西川さんの鼻には、今も黒ずんだ痕が残る。

 取り調べでは、ちゃんとした調書を取られることはなく、なぜ、罪に問われるのかも分からないまま起訴されました。勾留期間は約11カ月。治安維持法違反の罪で懲役2年執行猶予3年の有罪判決を受けました。

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