K-1で活躍した元格闘家の佐竹雅昭さん(49)。現在はタレントとして活動するかたわら、京都で空手道場や討論や研修、運動を通じて心身を鍛える経営者向けの勉強会を運営するなど精力的に活動している。格闘家引退後は、著書「まっすぐに蹴る」で告白したパンチドランカー気味の症状(認知機能障害の兆候)について、“今も後遺症が残っている”“病院通いだ”と一部でウワサされたが……。
佐竹さんはあっけらかんとした様子でこう語る。
実はパンチドランカーでも何でもありませんでした。ですがいつの間にか、まわりにパンチドランカー扱いされていました、ハハハ。現役当時は医者に『(試合を)このまま続けていたら30歳でアルツハイマーになるよ』と忠告されましてね。試合で脳が揺れ動いたりして、それで死の瀬戸際が4回あっただけですよ。医者には『試合後は絶対安静にしてもらわないと困る。誰かに付き添ってもらって、あの世に逝かないように看てもらってください』とよく注意されました。とくに、名古屋で試合したグレコ戦の後は危なかったです」
そう振り返るのは、1994年、後に“拳獣”の異名を誇ったオーストラリア人空手家サム・グレコとの一戦だ。佐竹は強烈な右フックを受け、2ラウンド1分27秒でノックアウト。このKO劇でグレコが鮮烈デビューを果たした裏で、佐竹さんは病院送りにされ、生死の境をさまよっていた。
格闘技ブームがピークに達するころには、佐竹さんの周囲はお金に群がる人間ばかりになっていたという。
「“お金を稼ぎたい”“有名になりたい”“女の子にモテたい”と思ってとにかく強くなりましたが、結果が伴わなくなると、次第にチヤホヤされなくなって。お金でつき合っている人間がみんなサーッと引いていきましたよ。正直、辛かったです。でも、すべては色んな雑念にとらわれた結果。自分のまいた種ですね」
以下ソースで
http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20150730/Gendai_68229.html