あまりにヒドい東芝の謝罪会見
「自分さえよければいい」型の経営者がこの国をダメにした
東芝の粉飾決算の責任を取って、田中久雄社長、佐々木則夫副会長(前社長)、西田厚聡相談役(前々社長)が7月21日付で辞任した。この三人に共通する特徴は、「粗にして野だが卑ではない」の真逆で、外見や言葉遣いは洗練されているが、「卑しい」ということである。嘘でもいいから好業績を上げ、社長としての名誉にこだわった結果、投資家、社員らあらゆるステークホルダーに迷惑をかけた。
(中略)
これまで述べてきたことを端的にまとめると、日本には外見や体裁だけ整った中身のない、せこい経営者が増えたということである。そして、そのせこい経営者が、自分を超えない器の小さい後継者を選んで、もっとせこい経営者が生まれている。
(中略)
こうした現実がなぜ起こるのかを考えると、日本社会全体に異端を排除する流れが強まり、かつ、「あえて自分は異端でいよう」と考える人材が減ったからではないか。排除というよりも抹殺に動く傾向もみられる。だから、みな主流派になろうとしているのである。
(中略)
かつての日本企業には多くの異端児を抱えていて、それが非主流派として経営層にも残り、主流派が会社を傾けると、非主流派が立て直しに動いた。政治でも自民党は主流派と非主流派が競い合ったから党勢が拡大したと言えるだろう。
「異端妄説」という言葉もある。福沢諭吉の言葉だ。こんな変な考え方があるのかと今は思われていても、いずれそれが主流の考えになるという意味合いをもつ。古くはガリレオ・ガリレイの「地動説」がそれに当たるだろう。ローマカトリック教会が唱える「天動説」が信じられていた時代に、異を唱えた。しかし、今の組織の中では異を唱える人が減った。前述したように、異端者をとことん排除するからだ。
日本メーカーからヒット商品が出ないのも、異端的なエンジニアを排除してきたからではないか。皆が主流派になろうと、手っ取り早く儲かりそうなものに開発リソースを集中させ、長期的な視野が失われつつある。
問題は経営者層だけでもない。上司と言われる人たちも、自分さえ良ければいい人が増え、愛情をもって部下を育てない。自分の成績向上のための部下しごき。だからパワハラがあちこちで起こる。
一方でコミュニケーション能力が低い若い社員は、上司が本人のためを思って厳しく指導してくれても、それをパワハラだと騒ぐ。だから真面目に指導するのが馬鹿らしくなる。上司と部下の関係に負の連鎖が起こっているのも、結局は、自分がかわいいからだ。
これに、「コンプライアンス地獄」が加わり、自分の頭で考えて行動することに制約がかかる。結局、本質的なことは何も実行せず、上手に社内評論家に徹していれば、出世のチャンスが巡っている。内部統制、コンプライアンス、社外取締役といったコーポレートガバナンスに関する体裁だけは整えたが、組織は頭(経営陣)から腐っており、それが現場にも伝播し、皆見て見ぬふりで実態は悪い方向に向かう。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44306
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