韓国海兵隊 フォンニィ・フォンニャットの虐殺
1968年2月12日、フォンニィ・フォンニャット村を訪れた韓国海兵隊第2海兵師団
(青龍部隊)第1大隊が村の婦女子を集め暴行、強姦後、至近距離から銃殺、
刺殺し火を付け立ち去った事件。
しかし、その日のうちにアメリカ海兵隊員4名、南ベトナム兵26名からなる部隊が
現場に到着し虐殺が判明した。
アメリカ・ベトナム兵は生存者へ手当を施し、病院へ搬送した。また、J・ボーン伍長
によって事件現場の撮影が行われた。
(J・ボーンアメリカ海兵隊伍長撮影)
犠牲者を収容するアメリカ海兵隊員
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両胸をえぐり取られた上に銃撃を加えられて瀕死の21歳の女性
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至近距離から撃たれ前頭部を吹き飛ばされた2名の妊婦
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殺害された子供
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韓国軍に焼かれた住民
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当時のフォンニィ・フォンニャット村はアメリカ海兵隊と友好関係にあり、村の男たちはアメリカと同盟関係にある南ベトナム軍に参加していた。
続く2月25日には韓国海兵隊によってハミの虐殺が引き起こされ、ハミ村の婦女子・老人135名が虐殺された。
韓国軍によって引き起こされた数々の虐殺によって少なくとも民間人9,000人が殺害されており、あるいは、30万人を超す犠牲者の数だったとも言われている。
韓国兵は残忍なやり方で女性を暴行、強姦してから殺すケースが多く、アンリン郡の村人によれば、韓国軍はとりわけベトナム女性にとって恐怖の的だった。