「殺してでも金を借りてこい」
虐待を繰り返す親と各地を転々とし、学校にも通っていなかった当時17歳の少年(18)=1審で懲役15年=が、祖父母を殺害して現金を奪ったとして強盗殺人罪などに問われた事件の控訴審が17日、東京高裁で始まる。
関係者らの証言をたどると、多くの大人が少年の不遇な環境に気付きながら、支援に結びつけられなかった経過が見えてきた。【山寺香】
1審判決や関係者の話では、埼玉県で母と暮らしていた少年は小学5年の頃、母の再婚を機に静岡へ転居。
母と義父は旅館の住み込みの仕事を始めたが数カ月しか続かず、住民票を残して埼玉に戻った。少年は学校に行かなくなり、行政が居場所を把握できない「居所不明児」となった。
一家はその後の2年以上をさいたま市のモーテルで過ごす。義父が日雇いの仕事で得た収入は部屋代と両親の遊興費に消えた。
少年は毎日チェックアウト時間の午前10時にモーテルを出ると、ゲームセンターなどで夜まで時間を潰した。
男性は子連れの長期滞在を不審に思い、月に1度立ち寄る警察官に伝えた。だが、警察官は関心を示さなかったといい、保護の機会を逃した。
◇横浜の公園で野宿 児相面会、親が保護拒否
2010年春、一家は横浜に移り、公園で野宿する。母は数カ月前に女児を出産し、13歳になった少年が世話した
。ベンチでうとうとすると、すさんだ生活にいら立っていた義父から殴られ、前歯が4本折れた。それを見た母は笑っていた。
10年夏、「野宿している一家がいる」と連絡を受けた横浜市中央児童相談所の職員が面会に来た。
子供たちの一時保護を両親はかたくなに拒否した。保護は見送られ、同市中区の簡易宿泊所が一時的な住居に決まった。
区が学籍を復活させ、少年はフリースクールに通った。無口で人と打ち解けなかったが、本当は交わりたいように見えたという。
生活保護を受け、最低限の安定を得ていたはずなのに、一家は11年3月に宿泊所から姿を消す。
母が役所に保護費の使い方を注意されるのを嫌がったためだ。少年は再び居所不明児になった。
フリースクールのスタッフは「支援を本格化させる矢先だった」と悔しがる。
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