問題の根本は、日本側の犯罪捜査や裁判権を制限する日米地位協定にある。「日本にとって重要な事例以外は裁判権を放棄する」との密約まで存在する。その不条理を訴えたが、日米両政府には無視された。手弁当の闘いで、家賃や光熱費すら払えなくなった。
〇八年、米兵犯罪に抗議する沖縄の集会で、レイプ被害者として初めて、六千人の前で話した。七十代の女性が近づいてきて、「五十年前に米兵にレイプされたことを黙ってきたけれど、あなたのおかげで自分は悪くないと分かった。ありがとう」と泣いた。
欧米諸国では当たり前の二十四時間体制のレイプ被害者支援センターが日本で整備されていないことに憤る。被害直後の緊急支援からその後のケアまで担う重要施設だが、国が十分な予算を出さず、まだ全国で二十数カ所。大半が平日昼間だけの開所だ。「二十四時間火事は起き続けないからって、平日の昼間だけ消防署を設置しますか?」
被害者からの相談を受け続けている。名刺には「レイプに反対するなら、地位協定を変えるべきです」と書かれている。米兵の犯罪を公平に裁く制度ができ、全国にセンターができるまで、祖国には帰れない。
今でも、後遺症で時折体調を崩す。「レイプ被害を思い出さない日は一日もない。でもわたしは、決してあきらめません」