観察していると、日本の人には「日本のものは、すべて聡明公正に円滑に動いていて、他国よりもすぐれている」という強い誇りがあって、
そうでもないんじゃないの?という人が現れると、強い反撥を感じるらしい。
日本という国を極めて独自の優秀な社会であると感じていて、自分がその「独自システム」の部分であることに特権的なプライドを
持っているように見えます。
たとえばニュージーランドでは、「自分は愛国者」だと述べるのは、よっぽどヘンな人で、「わしは愛国者なんじゃ」と言い捨てて立ち去る後ろ姿を
観察すると、きっと首の後ろがとても赤いと思うが、それでも赤い首の襟をつかまえて、ちょっとちょっと、そりゃ、あんたが愛国者なのはわかったけど、
ニュージーランドのなにを愛してるの?と訊けば、しばらくジッとこちらの目をみつめてから、うーん、多分、自然、かな?
グレートカントリー、イズントイット?と言うだろう。
実際にあった、ニュージーランドの牛乳のテレビコマーシャルの台詞で、流れるたびにガキだった妹とわしは、あまりの田舎者っぽさに大笑いした
ものだったが。
日本では愛国者の「愛」の対象は「日本というシステム」であるように見える。
街中の通りが綺麗である。
配送荷物が定まった日時にきちんと届く。
店員の言葉遣いが丁寧で恭しい態度とくずさない。
なにごともタイディでニートである。
ネトウヨというような、あんまり日本人ぽくなくて粗野な人たちを省いて、日本の人が自分の国を愛している理由を拾ってゆくと、
「この快適なシステムがほかで得られるわけがない」ということが愛国心の内容であるよーだ。
西洋人は自分自身を愛している。というより、他のことは何も考えていない、と言ってもよいくらいです。
最もおおきな理由は、多分、「自分を大事にしなさい」「自分を愛することをおぼえなさい」「自分が特別な存在であることを忘れないようにしなさい」
「自分というものが、この世界ではかけがえのないものであることをいつも心に留めておきなさい」で、
自分、自分、自分、と言い聞かされて育ったからで、不断に自分が幸福かどうかを意識して生活している。
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